20140801
晴れ。
昨日は豆腐2つ、りんごジュースひとつ、ヨーグルト1つが一日の食事。
まったく食欲が湧かないばかりか、食べ物を見たときの吐き気がひどい。
トレーニングは普通にできる。
身体は動くし、気力もある。しかし、食べ物に対して、少し変わった反応をしている。これではガールに一杯奢ってもらおうにも、もらえない。
夕刻、自動車を運転していて気がついた。
これは、身体が臨戦態勢を続けているから、なのだと。
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ある時期から僕は自分の身体をとても信頼していて、それは身体と頭を比較した場合に、多くは身体の感覚のほうが正確で、また判断についても的確なのだ。
比較的高度で頭脳的な判断の場合でも、それらの情報を入力するには身体の各器官を駆使することが絶対的に必要だ(かのヘレン・ケラーでさえ、触覚を利用して情報を入手していたたのだから)。
ただ、それらの情報をアタマで処理するために、純粋な情報と、感覚や感情、理念や欲求といったものがどうしても混ざってしまって、判断が鈍る、という傾向にあるように個人的には思う。
え。なにその「それはお前の心が濁っているからだ」的な視線は。
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浅い眠り、とがった感覚器官、欲求のことごとくが減衰したのに、気力もあって、身体も十分動く。
僕はこうした状態で動作する、自分という機能が嫌いではない。
今、僕のカラダは、とても苛立っていて、攻撃的な状態になっている。
戦争のように長期的かつ極度の緊張状態を維持していて、結果的に、アタマとの間に齟齬が生まれている。
僕の頭の中は、普段通りにのんびりぼんやりのペースなのに、身体は超特急で動くためのアイドリングを続けている。
(この状態は非常に心地よいものの、長期にわたると皮膚や粘膜の炎症や肌荒れ、粘膜の機能不全により風邪をひいたり、貧血を起こしたりする)
以前のように毎日、眠る前と目覚めたあと、身体を撫ぜるものの、今はほとんど身体が受け付けてくれない。
感覚が鈍くなっているのか、なだめても聞いてくれない、といった状態なのだ。
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20140807
10歳の頃、僕はある日突然にひらめいて、それからというもの、僕は怒りの感情を一般的な反応とは全く違うかたちで処理するしくみを自分の中に構築していった。
そのとき僕が天啓のごとくに得た感慨というのは、
「怒りは、それがどんなに強いもので、どんなに深いもので、どんなに適正なものであったとしても、何も救わず、何も生み出さない」というものだった。
僕はその頃まで、数年にわたって、それはそれは強い怒りを自分の中に持っていた。怒りというか憎しみというか、とにかく、破壊的な、あるいは殺人衝動的な、それは感情だった。
あまりにも長い間それを持ち続けていたために、その感情は僕の身体と一体化し、僕は何も信頼せず、何も感じず、そして何をすることもできなかった。
僕は憎しみのあまり食欲を感覚せず、怒りのあまり肉体の状態が把握できず、憎しみのあまり他者を気遣う余地もなかったし、それらはすべて怒りの対象のせいだと思っていた。
本当になにも感じていなかった。
しかし、その感情は、結局何も生み出さなかったし、仮にその感情に任せてありとあらゆる破壊的な衝動を実践したとしても、結局なにも残らないことが、何年ものシミュレートの末、理解できた。
何を壊しても、何を殺しても、何も解決しないのだ。
それに、人にはそれぞれ思うところというものがある。
僕自身にとってそうであったように、僕以外のひとりひとりに思うところがあり、それがあるのが当然なのだと、ある日の僕は気がついたのだ。突然。
以来、怒りが頭をもたげるたびに、僕は「この怒りは、それはそれで不可避の、他者の思うところによってなされた現実に対する、僕の個人的な感情に過ぎない」と思うようになった。
まるで高僧のように穏やかな心持ちを僕は得ることができて、とても優しい気持ちになれたものだった。
17歳のころ付き合った最初の恋人は、そんな風に「何があっても怒らない」僕を、何とかして怒らせようと躍起になり、やがてそれに成功する。
味覚や触覚というものを、人は、多くは女性から教わるのだろうと思う。
たいていは子供の頃に母親から。
僕の場合は恋人からそれを教わり、今はほとんどの場面で、味覚も触覚も自分の手で満たすようにしている。
僕は信頼していない人間の作った料理を食べることができない。
たとえば好きな女であった場合、セックスは簡単にできるが、手料理を食べるのは信頼していない限りできない。たとえば買って来た食べ物だとしても、信頼していない相手からもらったものは間違いなく捨てる。
子供の頃、僕は多分、誰も信頼していなかったのだと、今は思う。
いつも緊張していて、いつも戦場に放り出されているような、そんな気分だったのだろうと今はわかる。
臨戦態勢が、今も身体の多くの部分を支配してる。
僕の身体は撫でてもリラックスしないし、食欲もうまく自覚できない。
それでも僕は自分の身体を一番信頼しているし、僕の身体のために、できるだけのことをしようと思っている。
あ、でもでも、お昼ごはんはいっぱい食べたのだった。
