::強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。

小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。
ならば無能で、人が好く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねというのか。

それが世の習いと申すなら、
このわしは許さん。





20140718

曇り時々雨。

確認したら、退社まで10日を切っていた。
机の整理や備品の返納などしていない。普通に(あるいはいつも以上に)慌しい。

日常の連続。

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物事が二転三転して、目が回る。
何を信じると良いのか分からないし、やっぱり自分とその勘だけ信じていればそれが一番のような気もするし。
自分しか信じないというのも、それはそれでどうかとも思うし。

食事をする時間もない一日の終わりに呼ばれるまま前社長の家に行ったら、結局、引き留められた。

現社長にはたいした恩義もないし敬意も払えなくなったので辞職を申し出て、一から自分のありようを再設計したものの、前社長に引き留められてしまうと、僕にはどうしても、どうしても、それを振り払うことができないのであった。
それが忠義なのか、人が好いだけなのか、それとも単なる阿呆なのか、もはや考えたくもない。

再設計したいくつものことがまた宙ぶらりんになって、再設計する以前のこともまた宙ぶらりんのままで。

苦々しい気持ちのまま帰宅すると21時であったことよ。

そんな僕の将来の夢はベーコン職人になって山奥でひっそり暮らすことです。

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食欲などどこかに蒸発してしまっていて、しかし昨晩も一日トータル豆腐1丁しか食べていないことを思い出して、にもかかわらず何をする気力もないほど眠くて、そういえば今朝はカステラをひと口食べたと今思い出したものの、体重を計ると60kgを切っていたので慌ててその辺りにあるものを食することにしつつ日記を書いている。
俺の方が癌にかかって死にそうだ。

ちなみにMacは今日も死んでいて、伊藤食品の鯖缶うめー、とつくづく思う。

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いくつかのお客様に対して辞職のお知らせをすでにしてしまっていて、もちろん長年の付き合いでもさらっと社交辞令の方もいれば、ほんの1年程度でも涙ぐみつつ惜しんでくれたり、別の職を探したり自分の仕事に誘ってくれる方までいて、人間相手の仕事って、ほんとにめんどくせえなぁ、と、照れ混じりに思う。

かつて始めた当初、僕はこの仕事が本当に嫌いで嫌いで仕方がなくて、でも一方で、今はとっても気に入っているのもまた事実で、ただいくつもの人間との繋がりが重くて重くて心底厭になって、旅に出ますでも探さないでください西の方へ旅に出ます西の湖のほとりのあたりに行くような気がしますがどうか探さないでください探すなら群馬泉の特別純米酒を持ってきてくださいでもどうそ探さないでください、というような気持ちになることもしばしばであるものの、この職務においてその力を振るうことの快感についてを、この業界を毛嫌いしているからこそ人一倍感じるような気はしている。

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保険というのは、困った人を(契約者に限るが)助けることができる。
それどころか助けるのが仕事だ。
自身の知識や経験を駆使して、災害に遭ってしまったひと、事故に遭われたひと、困窮し、不安になり、心細くなって、ときにはくじけそうにまでなった人を励まし、勇気づけ、助力するのが仕事だ。

実際のところ買ってもらわないことには話にならないが、それでも、大事なことは売ることではなくて買ってもらうことで、それよりなにより困った人に金銭的な助力ができるということだ(僕個人の力ではもちろん、ないけれど)。

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そうはいっても、今日はさすがにほとほと疲れた。
腹に贅肉などなくなったが、それでも疲れるときは疲れる。

たまには何も考えず泥のように眠ろう。









::武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。

ならばわしはいやじゃ。

わしだけはいやじゃ。










冒頭・文末の引用は
「のぼうの城」(著作:和田 竜 / 発行:小学館)
によりました。