ロジェ・カイヨワは、20世紀のフランス人哲学者です。
ヨハン・ホイジンガの著書『ホモ・ルーデンス』に影響を受けたカイヨワは、自身の考えを『遊びと人間』に記しました。
カイヨワは、ホイジンガの考えを発展させ、「遊び」を4つに分類しました。
これより先は、カイヨワの分類を簡単に説明しつつ、「勉強の本質は遊びに近い」という私の自論を重ねていきたいと思います。
■アレア(Alea)
アレアとは、偶然の出来事に対して面白みを感じることです。
例えば、ルーレットで何か当たった時、興奮しますよね。
予想が的中することを期待しつつ、結果がその通りになったことへの喜びと言えます。
これは、算数(数学)を解いていて、閃いたアイデアや自分の解き筋が正しいと知った時の喜びに似ています。
考えることの「楽しさ」は、自分の考えが正しい思えた時に得られるからです。
■ミミクリー(Mimicry)
ミミクリーとは、何かを模倣(真似)することに対して、面白みを感じることです。
特に幼児などは、真似っこ遊びが好きですよね。
子供は何かを観察し、それに倣うことを面白いと感じます。
これは、知識を習得することへの喜びと似ています。
先人たちが発見したことを自分の知識として語ることは、要は真似だからです。
■アゴーン(Agon)
アゴーンとは、競争における喜びのことです。
現代でも、かけっこは子供の代表的な遊びです。
鬼ごっこや缶蹴りなどのように多少ルールが複雑化しても、その本質は、「追いかけること」と「追いつくこと」です。
ご承知の通り、勉強には競争的な側面があります。
しばしば、過度の受験競争が揶揄されることがありますが、競うことの「楽しさ」は、本来、人間に備わる感情です。
「勉強の楽しさ」と「競争」は、相反する概念ではないのです。
■イリンクス(Ilinx)
イリンクスとは、眩暈(めまい)または、スリルのような感覚です。
ブランコで風を切るとき、サッカーでボールを蹴るとき、身体へ直接かかる感覚のことです。
体験による高揚感と、言い換えても良いかもしれません。
たとえば、理科実験教室のような体験型学習に際して、それを感じることができるかもしれません。
一方、勉強はほぼ紙の上で行われます。
ただし、人間の複雑な精神は、あたかも目の前で起きているように様々な事象を捉えることができます。
想像力によって、高揚感を得ること。
高揚感を得るほど、リアルに想像できること。
これはむしろ、机上の勉強の豊かさと私は思います。
■遊びとは何か
最後に、カイヨワによる「遊び」の定義に触れ、今日の長い記事を終えようと思います。
時間がない方のために要約すると、「結果が読めてしまったり強制されたりすると、つまんなくなるからヤメテちょ!」と言っています。
自由な活動
すなわち、遊戯が強制されないこと。むしろ強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。
隔離された活動
すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。
未確定な活動
すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の工夫があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。
非生産的活動
すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。
規則のある活動
すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。
虚構の活動
すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。
『遊びと人間』より