■妥協か受容か
妥協と呼ぶか、受容と呼ぶか。
観察の対象が我が子となった場合、これは重要な問題となります。
「自分が子どものころは、こうだった。」
「だから、我が子はこうに違いない。」
「そうでなければならない。」
子どもを育てる上で時々あらわれる、やっかいな思考の罠です。
DNAという科学的根拠に基づいた一分の隙もない尖った論理は、身の周りの大切なものを切り裂く鋭さをあわせ持っています。
■子どもと存在
私は自分に娘ができたと知ったとき、金属バットで後頭部を殴られたような衝撃を受けました。
意外にスポーツの分野で力を発揮することに驚き、こっそり塾の宿題の答えを写しているのを見たときには、心の底から落胆しました。
娘と共にあることの喜びは、親である自分と違う存在であることを突きつけられることと、いつもセットでした。
■妥協か受容か
私は職業柄、子どもを受け入れられず生じる悲劇をたくさん見てきました。
「こうでなければならない。」
「こうであるはずである。」
子どもが自分と違うと気づいたとき、その存在を肯定できるか。
苦しみながらも肯定していくプロセスそのものが、共にあることの喜びの本質だとしたら。
欠点に妥協するのか、あるがままを受容するのか。
それが問題です。
C.O.D. Club