■伝えること

人に何かを伝えるというのは、本当に難しいと思います。
 
言いたいことが伝わらなかったり、思わぬ受け取られ方をしたり。
 
ひょっとしたら、人が抱える精神疲労の大部分は、意思伝達の難しさにあるのかもしれません。
 
 
何かを伝えようとする時、相手の背景を考えることは、上手に話すことと同じくらい大切だと思います。
 
正しい文法を学ぶことだけでなく、国語を勉強する意味はそこにある気がします。
 
 
 
■想像力
 
 
「主人公の気持ちなど作者にしか分からない」
 
「正解を求めるのはナンセンス」
 
 
国語教育を揶揄して、こんな風に言われることがあります。
 
それでも、「主人公の気持ちはこうではないか」と想像力を働かせることは、その子にとって良い経験になると、私は思っています。
 
しっかりと本文を読み込む事も大切ですが、私はあえて、「書かれていないことを読みなさい」と教えます。
 
国語の本質は、想像することと思うからです。
 
 
 
■癒し
 
気楽に思われるかもしれない私の仕事にも一応の苦労はあって、仕事の後には、疲れやら後悔の念やらが、どっと押し寄せてきます。
 
子ども1人分のストレスを預かるのも、私の仕事のうち。
 
 
帰りが遅くほとんど家にいない私にも一応の存在感はあって、リビングのテーブルには、娘の描いた絵やら、週末に行きたい場所のチラシやらが、どさっと置いてあります。
 
寝る前に1人、それを見るのが、私の癒しの時。
こんな時、手元にロウソクがあればと、アマゾンで適当にポチっといてと妻に頼みました。
 
アロマ的なものと炎の揺らぎで、何か良い効果が期待できるのではないかと。
 
 
 
 
ロウソクとどいたー
 
 
 
 
妻からメッセージがあったので、私は楽しみにしながら家路に着きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
違う。
 
そうじゃない。
 
 
これは、人を呪う時とかに、おでこに巻くやつ。
 
 
私は癒しを求めたのであって、誰かを恨んでいるわけではありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
やはり、ちゃんと伝えること、想像力、どちらも大切と思いました。
 
 
 
 
 
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