今日は、日本語文法シリーズの第二弾です。
 
第一弾はこちら
 
「が」と「は」を一挙に公開してしまおうという太っ腹な企画につき、つい長くなってしまいました。
 
また、シリーズは不定期なので、その辺りもご容赦を。
 
 
 
■が
 
「が」は、主語を表す時に用いる助詞の1つです。
 
他に主語を表す助詞に、「は」があります。
 
では、どういう場合に「が」を使い、どういう場合に「は」を使うのか。
 
これを意識的に行なっている子は、少ないと思います。
 
 
 
■「が」と「は」
 
 
我輩、猫である。
 
我輩、猫である。
 
 
どちらも主語を表していますが、文のニュアンスが違います。
 
上は、「私は猫さんだよ」と事実を述べているに過ぎませんが、下は、「私こそが猫さんだ!」と主張しています。
 
これを、強調の「が」と言います。
※排他の「が」と言う場合もあります
 
これを知っていると、「が」と「は」の使い分けは、しやすくなると思います。
 
 
我輩、猫である。
 
名前、まだない。
 
 
この2つの文をつなげてみます。
 
 
我輩、名前ない猫である。
 
 
「名前」→「名前」に変化したのが分かりますか。
 
耳とか髭はあるけど、名前ない猫なんだと。
 
このように、「が」は、「まさにそれが」と強調したい場合に使います。
 
逆に、名前があって耳がない猫の場合は、次のようになります。
 
 
我輩は、耳ない猫である。
 
 
名前はたぶん、ドラえもんです。
 
 
 
■主語と述語の位置関係
 
日本語には、主語を省略する場合があることに加え、主語の位置が決まっていないという特徴があります。
 
それが日本語の難解さの理由でもありますが、意味を通しやすくするというメリットもあります。
 
 
私は母が父が若かった時の話をするのを見て、悲しくなった。
 
 
文法的に誤りではありませんが、とても分かりにくいですよね。
 
私は、母が、父がと、誰が誰なんだか
 
いったい誰がドラえもんなのかと。
 
 
悲しくなったのは、私。
 
若かったのは、父。
 
話したのは、母。
 
 
主述関係を分かりやすくするためには、単に近くに置くと良いと思います。
 
 
父が若かった時のことを、母が話すのを見て、私は悲しくなった。
 
 
こんな風に書くと、少しスッキリすると思います。
 
たぶん、母が父の悪口を言っているんでしょうね。
 
そういうの良くないですよ、ほんと。
 
 
 
助詞「~が」
 
「が」は、格助詞として、動作の主体という基本的な役割を担います。
 
いわゆる、主語の「が」です。
 
細かな文法用語は知らなくても、「は」との違いを知っていることは、日本語への造詣を深める助けとなるはずです。
 
 
 
※ここからは、完全なる余談、マニアックなお話ですので、お好きな方だけどうぞ。
 
 

■余談 

 

次の文は、源氏物語の一節です。

 

いとやむごとなき際にはあらぬ、すぐれて時めき給ふありけり。 

 

※いとやむごとなき際にはあらぬ…身分の低い人

  すぐれて時めき給ふありけり…可愛がられた

 

上の「」を、どのように訳すべきかという論争があります。

 

 

」を、「身分の低い人にもかかわらず可愛がられた」と訳すのが正しいのか、「身分の低い人可愛いがられた」とそのまま訳すのが正しいのかと。

 

つまり、「が」が逆接を表しているのか、主語を表しているのかという論争です。

※学校教育上は、主語(格助詞)としておけば問題ありません。

 

これに対し、逆接の「が」と主語の「が」は本来区別されなかったという説があります。

 

私はこの説に、大いに納得させられます。

 

 

 

■これが本当の最後

 

 

子供の頃に泣き虫だった私、今や世界チャンピオンになった。

 

 

この「」は、何を表しているのでしょうか。

 

逆接でしょうか、それとも主語でしょうか。

 

「泣き虫だった私だが」と逆接にも取れますし、単に「私」という主語とも取れます。

 

私には、どちらの意味も兼ねているように見えます。

 

 

日本語が特異なのは、言葉を品詞分解をしていくと、あるところで、「これどっちなんだろう」という限界が来てしまうことです。

 

もちろん、決めてしまうことは簡単です。

 

ただ、本来の日本語は、「曖昧さと含み」という、極めて稀な性質を持っています。

 

そのような言語では、あえて文法というものを決める必要は、必ずしもないのかもしれません。

 

 

 

おわり。
 
 
 
 
C.O.D. Club
 
 
 
 
 

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