■はじまり
可愛い子には旅させよ
先日、この言葉について、思うところを書きました。
気分を害される方も多いかなーと心配していましたが、意外にコメントも多くいただき、ホッとしています。
安心した私は、今日も奇妙なお話を続けようと思います。
■ことわざ
Spare the rod and spoil the child.
可愛い子には旅させよ
英語の諺(ことわざ)として習うこの言葉ですが、これは聖書の中の一節を簡略化した言葉です。※違うという人もいますが、それは大きな問題ではありません。
旧約聖書は、箴言(しんげん)、ソロモンの格言の中に、次の一節があります。
He that spareth his rod hateth his son: but he that loveth him chasteneth him betimes. (Proverbs 13:24)
むちを控える者は息子を憎む者。息子を愛する者はよく懲らしめる。(旧約聖書 箴言 13章24節)
内容も使われる単語も、はじめの諺(ことわざ)にそっくりですよね。
英語好きの方もいらっしゃいますから、一応、語学的な雑学も載せておきます。
spareth (惜しむ)
hateth (憎む)
loveth (愛する)
chasteneth (懲らしめる)
現代英語では、次の通り。
spares
hates
loves
chastens
お気付きの通り、三単現の s は、元々 th です。
「s と th は音が全く違う」と学校で習った時、だいたい同じに聞こえるんだけど…という思いを胸にしまい込んだ子は多いと思います。
素直な直感は、時に正しい場合があります。
では、なぜ 三単現には s(th) を使うのか。
それは、いつかどこかでお伝えできればと思います。
私は、奇妙を通り越して、変人と思われるのは避けたいのです。
話を元に戻します。
■ヨーロッパ的価値観
一般に、ヨーロッパの教育は非常に厳しい面がありますが、その背景には特別な宗教観があります。
愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。(旧約聖書 箴言 22章 15節)
子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。(旧約聖書 箴言 23章 13-14節)
むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。(旧約聖書 箴言 29章 15節)
…
これらの教えは、プロテスタントの親たちにとって、体罰を容認する根拠となりました。※あくまで昔の話です
メソディスト派(プロテスタントの一派)の創始者であるスザンナ=ウェズレイは、次のように主張しています。
※念のために書いておきますが、私は体罰容認派とかではありませんし、宗教批判でもありません。あくまで歴史のお話です。
■根底にあるもの
上のような考えが生まれるのは、ヨーロッパの宗教の最も重要な根幹に、原罪(original sin)という考え方があるからです。
人は皆、アダムとイブの子なのだから、彼らの犯した罪を自動的に引き継いでいるという考え方です。
生まれたばかりの子どもは罪の塊だから、叩いて真人間に矯正するといったような感じです。
罪というのは、禁断の果実を食べてしまったという、例のあれですね。
関心のない方にとっては、「いやいや、ちょっとまってよ。。」となるかもしれませんが、宗教というものは、非常に強固な社会システムですから、そう簡単に一部だけ取り外してしまうということは、出来ないのです。
ルソーは、当時の教会をカンカンに怒らせてしまいましたが、現代では、『子供の発見者』と称えられています。
■その先へ
誤解のないようにお伝えしておくと、厳しい教育というものは、たった一つの宗教観から生まれたものではありません。
どの時代、どの国でも見られることです。
現代の日本でも、極端な考えを持つ教育機関が問題になることがありますよね。
では、教育という泡のような概念に対し、歴史からヒントを得るためには、いったいどこまで遡れば良いのでしょうか。
そう、皆さん大好き、古代ギリシャです。
To be continued…
C.O.D. Club 〜とっても優しい先生〜