■お花見


お花見に行ってきました。

隅田川のほとり、桜並木。

ところで皆さんは、桜の樹の下に死体が埋まっているということはご存知でしょうか。

あまりに見事な桜を見たとき、この詩を思い出します。



「桜の樹の下には」  梶井基次郎


    桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!


 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。


(中略)


 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。


 おまえ、この爛漫(らんまん)と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

(中略)


 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!


 いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。


 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。




※小さな子にはまだ早いと思われる少し刺激の強い表現があり、一部省略しています。



底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
初出:「詩と詩論」
   1928(昭和3)年12月



■桜の色の理由

桜の樹の下には土と肥料が埋まっており、もちろん死体は埋まっていません。

桜の花の色がピンクに見えるのは、科学(化学)的に言えばアントシアニン系の色素によります。
より情緒的に表現すれば、花見の酒に浮かれた人には、世の中がピンク色に見えるからとなるでしょうか。
同じ物事に対しても、いくつかの表現があります。



■デカダンス的表現

かつての日本文学に多く見られるような憂鬱な表現は、大正デカダンス(退廃的な文学表現)に強く影響を受けています。

心中だ、結核だ、人間失格だと、当時の作家は皆暗いことばかり言いますが、これは一種の流行りであり、当時はそれが「お洒落」だったのだと思います。

退廃の中に潜む美に気付かないわけではありませんが、どちらかと言えば、私はそれらをコメディーとして楽しんでいます。


ただし、梶井基次郎を除いて。



■梶井基次郎
梶井基次郎は日本文学の礎(いしずえ)であり、31歳で亡くなった大正〜昭和初期の作家です。

女に持てず、空気が読めず、酒に溺れる癖もあり、さして文壇に認められることもなく早死にしました。

時に鬱屈した詩から届くのは、痛いほどの純真。

これは当時流行りの '退廃的' とは似て非なる表現であり、どの時代の文豪とも一線を画します。

頽廃(たいはい)を描いて清澄(せいちょう)、衰弱を描いて健康、焦燥を描いて自若(じじゃく)、まことに闊達(かったつ)にして重厚。

川端康成とも親交の深かったフランス文学者にして文芸評論家、淀野隆三(よどの りゅうぞう)をしてこの評価。


決して誰にも真似できない。


それが梶井文学の真価です。



■花言葉

桜には、「優美な女性」という、そのまま過ぎる花言葉がありますが、一方で「優れた教育」という意味深な花言葉もあります。


花の色の理由を説明するのに、科学を用いるのと文学を用いるのと、どちらが優れた教育かということは一概には言えません。



ただ、桜の樹の下に死体が埋まっているという表現は、子どもの悪さを戒めるには刺激が強すぎるかもしれません。


怯える子を前に、今日はエイプリルフールだと言っても、言い訳としては苦しいでしょう。









酔人の 理屈をかしき 桜かな











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