勉強ができるようになる方法は1つしかありません。
 
それは、勉強をすることです。
 
分からなければ、分かるまでやれば良いのです。
 
 
 
大学に受かる方法は簡単で、やるべき問題集のページ数を残りの日数で割るだけです。
 
そうすれば、楽に通ります。
 
塾も家庭教師も要りません。
 
 
 
もちろん、これができるのは、ほんの一握りの子であることは理解しています。
 
高校受験、中学受験と年齢が下がるほど、さらに難しくなっていきます。
 
端的に言って、これには自我の発達が関わっています。
 
 
 
目的のために努力することは、意思のある行為です。
 
意思とは、自我です。(古典精神分析学における厳密な定義とは異なります。フロイトは、自我はそれ自体意識されないと言っています。)
 
入りたい学校があるけれど、つい遊んでしまうのは快楽志向が強いからです。
 
自我の強さより、快楽への欲求が上回っている状態です。
 
 
 
自我を発達させるには、自らの意思を育てるしかありません。
 
よくある不幸は、親があれこれと全て用意してしまい、「さあ、やれ。」としてしまうことです。
 
最高の環境を用意したぞ、と。
 
お母さん(お父さん)が子供の頃は、こんなにしてもらえなかった。お前は幸せだな、と。
 
 
 
勉強は苦楽の合わさったものですから、自我の未発達な状態で、横にユーチューブやゲームがあれば、そちらを選ぶのは当たり前です。
 
それらは、純粋な快楽だからです。
(精神分析学では、これを快楽原理、または快感原則と言います。)
 
「勉強は楽しいもの」というのは、快楽を指すのではありません。
 
自我によって小さな目的が達成され、それによってさらに自我が発達し、さらに次の目的を達成するサイクルを「楽しい」と感じるのであり、次第にそれは大人の精神と近いものになっていきます。
 
人は赤ちゃんから大人になる過程で単純な快楽を捨て、自我を形成し目的志向へと変化します。
 
目的を達成するための一時的な我慢を覚える、と言い換えても良いかもしれません。(精神分析学では、これを現実原則と言います。)
 
 
 
正直なところ、知力に問題がないにも関わらず勉強を苦手とする子の親は、子を実年齢より低く見ている場合があります。
 
 
先日読書感想文をご依頼になったお母さんの選んだ本は、絵本でした。
 
彼は小6です。
 
 
また、中学受験に悩まれる、あるお母さんは、母乳で育てていたことをよく話します。
 
もう、それから10年経っています。
 
 
ある子は、ほとんど遊びを知らず、お祭りにさえ行ったことがありません。
 
出店の食べ物は不潔だからと。
 
 
その子たちに、自らを律して勉強に打ち込みなさいと諭すのは無理があります。
 
急にそんな高度な事は出来ません。
 
 
 
遊び、不衛生さ、失敗、挫折、不足。
 
 
 
これらを通し、子は学びます。
 
これらを遠ざけてはいけません。
 
親の最も大切な役割は、立ち直れない程のダメージを受けないよう監視することだけです。
 
 
 
「お母さんが言っているから。」
 
「お母さんが許さないと思う。」
 
「お母さんが○○○」
 
 
 
この状態では、なかなか勉強が出来るようにはなりません。
 
自らの足で立つことより、勉強はさらに厳しく難しい作業だからです。
 
 
 
 

-いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、まず立ちあがり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。-

 

ニーチェ

 

 

 

 
 
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