20260408 春の便り (20260925投稿)
ご無沙汰しております。遅ればせながら花見のご報告を。一日8時間の睡眠を優先するとどうしてもブログの更新は後回しになる。お盆を過ぎ秋分を過ぎていろいろ一段落し少しはブログに手を出せるようになった。 まあ気長に更新しようと思っている。以下は4月8日のもよう。
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こんにちは。
四月に入り天気がめまぐるしく変化するなか花はどんどん咲き始めなかなか花見をするタイミングがないと思っているうちに盛りを過ぎてしまったようだ。
花の見頃と好天と自分の都合の3つがうまく重なるのはなかなかに至難の業だ。
一応生田の桜を確認すべくこの日はカメラを持って出かけた。
すると僅かだが花の姿を見ることはできおまけに耳福?にあずかることもできた。
まず次の動画を。
次に近所の借景。なぜか写真が横倒しで後も何枚か同様の症状だが後程調べて修正したい。
こちらは春秋苑という墓苑の桜。
白い花はハナミズキか。
斜面に咲く桜は緑と青空と鳥たちの囀〔さえず〕りと共に。
生田さくら公園の桜はほぼ終わっていた。
遠くに富士の頂が見える。
長沢浄水場の桜。
三田第一公園の桜並木に花は見えない。
こちらは矢車草。
アヤメ。
アヤメとハナショウブとカキツバタとジャーマンアイリスは区別が難しい。下の紫の花は網目模様があるのでアヤメだろう。
三田第四公園。こちらは白と緑の大島桜がメインだがすでに躑躅〔つつじ〕が盛り。
生田中学前の通りの桜はなぜか伐採されていた。伸びすぎて危険だから病気が出たからか。
浄水場を横目に生田緑地を目指す。
生田緑地は結構花が残っている。
大島桜が多い。
椿があちこちに落ちていた。
久々の枡形山公園。
お花見する人。
このあたりも躑躅が満開。
誘惑に負けアイスを買って食べる。
駅前の枝垂れ桜の名残咲き。
民家のハナズオウ。
と春の花々を楽しんだ一日であった。
付記
カーペンターズの1974年のライプ。
カレンは摂食障害(当時「拒食症」と呼ばれた)により1983年に32歳の若さで急逝した。病のきっかけは太っているというファンの声を耳にし兄のリチャードに「私太ったかしら?」と尋ねると「少し太ったかもね」と言われダイエットに励んだとことだとされる。
スターの座に上り詰めた人間が心を病んだ末の悲劇というようなとらえ方を当時の私はしていたように思う。
しかし本当にそうなのだろうかと最近は思う。
カレンは自らを「歌うドラマー」と考えていた。「ドラムも叩けるシンガー」ではなく。それほどドラマーとしての矜持を持っていた。しかしレコード会社サイドや実際のファンの要望はステージの中央で歌うカレンを求めていた。そのため自分のアイデンティティを曲げてステージをこなしていた。それはたしかに彼女にとって少なからぬフラストレーションであったろう。それが高じて彼女が心を病むことになったとしても不思議ではない。ましてその時代のアメリカの音楽シ-ンは重さ深さ激しさ革新性を求めていた。その中で彼らの音楽はあまりに平和的で健康的で保守的で軟弱な女子供の音楽との批判を受けることもあった。今となっては過小評価というべき扱いを受けてもいた。そんな中で彼女が満たされぬ思いを持ったとしても不思議ではない。(私生活の面でも困難はあった。)
しかしこういうエピソードもある。兄リチャードはあるインタビューでこう語っている。
「彼女と恋人がビバリーヒルズにあるレストランに入ろうとした時のことです。ちょうどジョン(・レノン)が出てくるところで、すれ違いざま、彼はカレンに「素敵な声だね、お嬢さん」とか「美しくて素晴らしい声だね、お嬢さん」といった言葉をかけたのです。カレンは度肝を抜かれました(flabbergasted)。」
彼女はロンドンでポール・マッカートニーにも会いその際にその歌声を激賞されている。
カーペンターズは複数のビートルズの曲をカバーしヒットもしている。彼らにとってビートルズはアイドルだった。そのビートルズのメンバーから褒められたことは彼女にとって代えがたい心の財産になっていたはずだ。
そんなことを思うと彼女は自らの音楽に一定の自信と満足と希望を感じて前向きに音楽活動に取り組んでいたと思える。だから兄の言葉をきっかけにダイエットを始めたとしてもそれは彼女の素直で真面目な性格の表れであったのだろうと推測できる。少しでもより良くなろうとする前向きな意欲の表れだったのではないかと。
摂食障害に陥ったのは結果論であってその発端そのものは健全な向上心に発するものであった。そこに病がたまたま忍び込んだ。病とはそういうものである。
だから徒にカレンの早世を悲劇として嘆ずるべきではないと今は思っている。実際彼女が亡くなったのは回復の途上であり病気の進行で委縮した心臓が体力の回復に耐え切れなかったためだった。
亡くなる直前まで音楽活動には積極的に取り組んでいた。最後まで前向きに生きた。そんなカレン・カーペンターを愛さずにはおれない。
付記への補遺
カレンは生涯彼女自身のシンガーとしての並外れた能力を客観的に自覚してはいなかったと兄のリチャードは述べている。




































































