主人と乗り越えてきた阪神淡路大震災、大阪北部地震、 | 大切な旦那への思いと初めてのおひとり様生活を綴った日記ブログ

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2023年冬大動脈解離で突然亡くなった主人。
亡き主人への気持ちや50代にして初めてのおひとり様生活の日々の備忘録としてブログを始めました。
アメンバー承認については2024年1月31日の投稿内容を確認してもらえると助かります。

今日は29年前、阪神淡路大震災が発生した忘れられない日


1995年1月17日、5時46分

阪神淡路大震災発生


私の実家は全壊し、父、母、妹は被災者になった。


私は結婚をして実家を出ており主人と幼い息子と暮らしていた家も大変揺れました。


地震発生時、主人はすぐさま私と息子に覆いかぶさり身を投げ出して守ってくれた。


そして被災した父、母、妹達の為に必死に動いてくれた。


その光景は今も鮮明に覚えている


実家が地震前の生活に戻る迄大変な年月と労力を要した。



2018年6月18日、7時58分

大阪北部地震発生。


今度は私達家族が被災者となり

先代ワンコのココアは恐怖で体調を崩してしまった。

自宅の全壊、半壊は免れライフラインは、ガスが止まるだけで済んだのは

不幸中の幸いだった。


私達夫婦は料理はカセットコンロを使いお風呂には入れない日が続いた。

そんなある日、近くの銭湯で入浴出来る情報が。


私「乳がんで乳房全摘した私は大勢の人がいる銭湯に入る勇気はない。

あなた(主人)だけでも入浴してきてね😊


と主人に事情を説明した。


しかし


主人「お前が入浴出来ないのなら俺も 入らない」 


と、言って同じ様に入浴に行かず

私と自宅でタオルで体を拭いてガスが復旧するまで過ごしてくれた。


そして先日

2024年1月1日16時10分

能登半島地震発生。


ずいぶん離れた私の居住地も随分揺れミルクを抱きかかえひたすら揺れがおさまるのを待った私。

1人でいる私を心配して妹がすぐに安否確認の電話をくれた。


幸い被害が出るほどの地震では無かったが守ってくれる、頼りの主人はもういない。

これからは1人で頑張らないとまたも思い知らされる。泣


能登半島地震で被害を受けられた方々

沢山の被害に合われ不自由で過酷な避難生活が続いていると思います。

1日も早く穏やかな日が迎えられる事をお祈り申し上げております。