クローバーあなたがあなたのまま生きるお手伝いクローバー

 

 

 

 






先日オンラインで
カウンセリングをさせて頂いた方から
ご感想を頂いて

ブログでご紹介することを
ご了解頂きましたドキドキ

カウンセリングをさせて頂いて
自分の体験と重なるものがあったので

ご感想の後に綴ってみますね。


みきちゃん

こんばんは。

昨日はカウンセリングをしていただき

ありがとうございました😊


無責任になってもいい

この言葉がグサッと刺さりました😅


私は、自分が放任で育った(と思っていた)反動で

子どものことを過保護、過干渉で育ててきて

これで本当に大丈夫なのか?と今になって焦っています。


子どもを自立させることが子育てのゴールなら

私が責任を負おうとし過ぎたことは

返って、無責任な結果になっていたんだなあと

思いました。


その時々にできる精一杯ではあったけど

結局は、自己満足だったのかなと思います。


みきちゃんに教えてもらったように

私の素直な気持ちを話して

娘はどう思うのか?聞ける

そんな気持ちを伝え合うやり取りが

出来るようになりたい😭



みきちゃんが、お互いのことを分かりあうために

旦那さんとたくさん話し合っておられることをお聞きして

関係って、こうやって築いていくものなのかと驚きました。


そして、私が私のことを認めていないから

人にも伝えられないんだと、やっと分かってきました。


不満ばかりなのに、綺麗事で誤魔化そうとする思考ではなく

本当の素直な気持ちを、ちゃんと受けとめていきたいです。



その他にもたくさん気づいたことを

伝えてくれました。

ありがとうございますラブラブ


***


みなさんの気づきやご感想から
カウンセリングを受けてみようかなと
勇気になったり

悩んでいるのは自分だけじゃないんだなと
孤独な気持ちが少しでも癒えたり

ご感想の内容から
私自身の体験をブログでお話しする
きっかけになったり

頂いたご感想や、その方が気づいたお気持ちを
私だけではなく、みなさんにご紹介させて頂きたい

そんな気持ちでいつも
掲載のご了解を頂いています。

快く了承してくださるみなさんに
感謝ですドキドキ


**


さて

このTさん(仮称)のお悩みを聴いているとき

私は
娘さん側の気持ちに立っていました。


Tさんと娘さんの関係とは
また違っているとは思うけれど

私の体験を話してみますね。


私は
とっても過保護に、過干渉な母に
いわゆる箱入り娘で育てられてきました


ある意味
だいじにだいじに

転ばないように
失敗しないように
悲しまないように

いつも
目の前の小さな石まで
先に母が拾ってくれる

その舗装された綺麗な道しか
歩かせてもらえない

いや
今思えば

お母さん
心配で不安で必死だったのだろうな

そう思う泣くうさぎ

私を産んだのはまだ20代前半

そりゃーそりゃー
必死に大事に
女の子だから!って
傷をつけずに育ててくれたんだと
今はわかる泣

ありがとうってね
心から思うんだ。

そこまでの過程には、
お母さんみたいになってもいいを受け入れる、
お母さんを傷つけてもいい!って本音をぶちまけるなど
いろいろなバンジーをやって、
こう思えるようになったのだけれどね


いつも美しくいなさい
って
洋服も下着も全部、母が買ったもの。

自分が選ぶと否定されるので
私自身も諦めて
母が喜ぶもの
母が気にいるもの
が基準に生きていました。


友達も
あの子はダメ
この子とは付き合ってはいけない
そんな風に言われるのが
とても悲しかった


大学時代
門限は遅くても20時
基本は、大学が終わったら
すぐに帰るもの
大学は学業を学ぶところだから
授業が終わったらすぐに帰ってくるもの

もちろん
反抗してテニスサークルに入り
食事をして帰ることもあったけれど
その度にお伺いをして
許可をもらい

まだみんなが盛り上がっていても
先に送ってもらって
20時には帰宅

そんな
常に親のひいたラインから
はみ出さないように
生きていました。



大学時代に
電車で一駅(電車で5分くらい)の隣町に行って
帰宅をしたら
時間が遅い!と怒られて
それでも夕方だったような。。

「隣町に行ってきた」
と伝えたら
「あなたがひとりで電車に乗れる訳がありません!」
「あなたがひとりで行く訳がない!」

って激怒をされて

もう19歳
私、ここにいたら何もできなくなる

そう愕然としたことは
忘れられない


私の願いは
とにかく早く大人になって
この鳥籠から出ること


大学までは親の希望もあり
学費を出してもらうので
地元を出られなかったけれど

就職はぜったいに静岡を出る

そう心に決めていました。



救いだったのは
学部が海外留学を勧めていたので
毎年夏休みになると
1ヶ月〜3ヶ月海外の街に留学をし

異文化の家族と暮らす経験をしたこと。


日本から出て
外から日本を見る経験

異文化の家族と暮らす経験は

まだ思考は親の管理下ではあったけれど

鳥籠から安全に出て
飛び立てた時間でした。



今振り返ると
管理は厳しかったけれど

安全に、安全に
いろんな体験は
年齢に応じて
させてくれていたのかもしれない。



高校時代のバスケ部の遊びや集まりにも
ほとんど参加したことがなく

一度だけ許可がでて
お泊まりで参加したこと

うれしくて、うれしくて
今でも忘れられない記憶。


そんなことも
当たり前ではなかったから
ひとつひとつの自由や出来事が
鮮明に覚えている

それは
ひとつひとつの経験を
当たり前ではなく
貴重な経験として
丁寧に大切に体験できたこと
なのかもしれないなと

過保護
ひとことでくくってしまうと

偏った拘束
のように聞こえてしまいがちだけれど

そこには

親の想い
親の不安
親の愛

いろんなものが
詰まっていたのかもしれないなあと
今は振り返ります。


母も大切に大切に育てられてきた人だから
その育て方しか知らなかった
のかもしれない。


今だから
そう思えるけれど

心屋に出会うまでは
長く長く
そんな風に育てたことを
恨んでいました。



もっと自由に育てられたかった

もっと自分のままで生きてきたかった



***



大学を卒業して
就職は念願の横浜に一人暮らし。


就職活動はもう必死でした。

何度もパンプスのヒールがダメになるほど
たくさんの会社説明会に行き

実家から通えない会社と
一人暮らしの補助がある会社を
選びました。


ひとりで暮らし始めて

自分ひとりでは決められないことに
ぶち当たりました。


いつも
お母さんはどうするんだろう
お母さんはどっちを選ぶのだろう

それが基準だから
お母さんがいなくて分からない。。
決められない。。

優柔不断

そして
純粋無垢過ぎて
人を疑わないから

都会での生活に
たくさん傷つき
人間不信にもなりました。


何より
ずっとずっと
小さな石ころすらどかしてくれた道を
歩んできていたから

小さな石につまずく


つまずいたときに
どうやって立ち上がればいいか
分からなかった


22歳にもなって
何もかもが初めて過ぎて

呆然と立ち尽くしました。



親元で守られている中で
もっともっと失敗したかった



勝手だけれど
そう心底思いました。




ひとりで鳥籠の外に飛び立った後は

私にはとても世の中が
過酷で

試練だらけでした。



小さい頃から
スナック菓子はあまり食べたことがなく
お菓子も食事もすべて丁寧に手作り。

親元にいたときは
風邪ひとつひかなかったけれど

一人暮らしをし
今まで食べたことのないジャンキーな食べ物を
自由に食べられることが
うれし過ぎて
美味し過ぎて

実家にいた頃にできなかったことを
ぜーんぶ叶えていたら

一人暮らしになって数ヶ月で
治らない病気にもなってしまった。

反動がすごかった。。



私は子供ができない身体なので
親にはなれない人生。

だから
親の気持ちは分かりたくても
本当の意味で
分かることはできないと思う。


でも
友人の子育てや悩みをたくさん見てきて
素晴らしい親を見てきて
親の想いを見聞きしてきて

自分の体験を通して

親が石を拾ってあげられる期間は
限られる


だから
親元にいるときに

自分で転び
自分で立ち上がる

自分で選び
自分で失敗を受け止める

自分で責任をもつ生き方をする


まだ柔軟なときに
経験しておいた方がいいことは

沢山あるのかもしれないな

そう感じます。



人生って
どこかで帳尻が合うようになっているのかな

そんな風に
自分の波瀾万丈な人生の
折り返し地点を過ぎて

今、思うのです。



どこでその苦い体験をするのか


親元にいるときにするのか

親に頼れなくなってからするのか


どこで体験しても
きっと
その人それぞれに必要なこと
なのだと思う



だから
親が子供の人生を眺めたときに


親のそばで

体験し
失敗し
自分で気づき
立ち上がる力を養う

方がいいのか


子育てが終わってから
社会に出て
自力で体験するのがいいのか



それは選択だと思う。



私の場合

こーんなに丁寧に大切に傷ひとつなく
育てたのに

20代で離婚をし
治らない病気になり
心を失い
生きていたくないと思いながら
40代になり

親元にズタボロになって戻ってきた

母は
育て方が間違っていたのかと
罪悪感を持ち

私は
こんな娘で申し訳ないと
罪悪感を持ち


そこから
心屋に出会い

人生の軌道修正が始まりました。


30代はまるまる
命を終えたいと毎日願って
生きることが辛かった
何度も試みた

けれど

優しい旦那さんに守られて

私はありのままの私で生きている

そう自信をもって言える。



苦しんで
苦しんで

でも
人生を終えようと思う度に
浮かんだのは

母の顔だった。

お母さんが悲しんでいる顔だった。



だから
私には

あのとき過保護に育てた
母の必死な思いは

無意識にだけれど
届いていたのかもしれないな


そんな風にも今は思います。




そして
横浜での一人暮らしの中で
たくさんの家族のような友人ができた。

優しい彼氏もいた。


悪いことばかりじゃなかった。



人を大切にし
人に囲まれ信頼されている
両親の背中を
見てきたからかもしれない。



子供は
親の生き方を見ている


だから
なって欲しいように

先に
親が

暮らすこと。
生きること。



それで
充分なように

今は感じていますスター



おわりハート





​直近のご予約・募集のご案内



心屋初級セミナー(オンライン)

詳細はこちらから



みきちゃんと話そう♡笑おうお話会

詳細はこちらから




心屋オープンカウンセリング(対面・オンライン)

詳細はこちらから




みきちゃんとお茶会(仮称)

リアルで少人数で久しぶりに

お茶会するよ〜ピンクハート


8月23日(水)15:00〜17:00

定員3名さまのみ


詳細はComing Soon...










ときどき
気まぐれにみきちゃん便りが届きますラブレター