ぢんさんが断食に行ったときに
「ある」の気づきから生まれた〝断愛〟


断食をしたらエネルギーとなる脂肪を
体が使い始めた経験から、
〝愛〟も

すでに「ある」んじゃないかという発見をしました



〝愛〟を〝断つ〟ことで
すでにそこにあるものに気づけるのではないか、

それを「ない」と思い込んでいて
気づけずにいるのではないか、ということです







愛には
〝求める愛〟と〝与える愛〟があります

他者へ求める愛
他者へ与える愛


愛を別の言葉に置き換えると
優しさ
想い
気持ち
エネルギー、などとも言えます



愛を断たれる
愛が途切れる

これらを思うだけで
辛く悲しい気持ちになります

なぜなら
人間にとって他者との繋がりは
自然な在り方だからです



だから
優しさを、エネルギーを
与え合ったり
分けあったり
もらい合ったりすることは必要不可欠です



でも、この視点がズレて偏ると
間違った愛の形になります


それを元の位置に戻す方法の一つが〝断愛〟

間違った形には
あえて断つことで在り方が戻るのです







では
どのように〝断愛〟をするのかというと
今までやっていた、

求めるのを、やめる
もらおうとするのを、やめる
欲しがるのを、やめる

与えるのを、やめる
あげようとするのを、やめる
注ごうとするのを、やめる


このように
今までやっていたことをやめることが
必要になります


やめることで
もらわなくても、大丈夫なのかもしれない
あげなくても、大丈夫なのかもしれない

ということに気づきます


もらわないと感じられない、と思っていた感覚は
すでにそこに「ある」
それなら
もらわなくても大丈夫かもしれない、

与えないと感じられない、と思っていた感覚は
すでにそこに「ある」
それなら
与えなくても大丈夫かもしれない、と

思えるようになるのです


最初はわからなくても
だんだんと
ほのかに
ほんわかと変化を感じられるようになります







最初はやめようとするだけで辛さが出てきますが

それは


他者からの愛をもらえないのが辛いのではなく、
他者へ愛を与えられないのが辛いのではなく、


もらえないと思うことが

与えられないと思うことが辛いのです



自分が愛情だと思っているその言葉やその行動がなくなることが辛いのではなくて


やめることで

その繋がりが途絶えてしまうのではないかという

〝思い〟に辛さを感じるのです




本当はその言葉や行動がなくても

ずっと繋がり合っています


愛は「ある」のです




なので、

そんな時はこの方法がおすすめです


本田晃一さんのブログより↓

相手がどんな状態であれ、ただただ愛情を注ぐイメージをしてみるのさ。

態度で示したり何かを捧げなくてもいい。

 

地下の深いところにパイプがあって、そこから相手にただただ愛情を贈ってみるのさ。

 

相手がこちらへ理想の返事や態度を示さなくても、ただただ愛情を注いでみる。

すると、だんだんと深い安心感に包まれたりする。

 

 

そんな状態になると、あらゆるところから愛情が注がれてるんだなぁって気付き始めるのさ。

 

シンプルだけどパワフルな体験になると思うよー。

寝る前に1週間もやってみると、ほんと体験出来ると思うのさ。

 

この感覚で生きると、豊かな人生になるよー。








他者からの愛を絶つことで
他者への愛を絶つことで

〝人との繋がり〟の以前に

自分に向けることが大切なのだと気づきました


その愛を
その視線を
その深い想いを。


まずは自分を満たさなければならないことを
〝知った〟のです


相手や他人には惜しみなく
愛やエネルギーを注げるのに
自分には向けていなかった、おろそかにしていた


その時は

おろそかにしていることにさえ気づきませんでした


でも、

自分を満たしてからやらなくてはいけないことを、先に他者へと向けていたのは間違いだったのです







断愛することで

自分がやりたいこと
自分が選びたいもの
自分だけのことを考えなければならなくなります


他者へ注いでたエネルギーを
自分へ向けることになる

見たくない所を含めて
自分をしっかり見ることになる

自分に向ける眼差しはエネルギーそのものだから
本当の意味での心が満たされる


満足感とはこのことです



それと同時に
全て自分で責任を取ることになります


誰かに何を言われようと
思うようにいかなくても
失敗したとしても

それを全部認めて受け入れることになります




だから
自分という輪郭がクリアではっきりしてくるのです

自分の軸が立つ
自分が明確になる


自分で自分の責任を取る人は、強い。




だからもう、
自分は弱い存在だという視点から愛を求めたり

逆に、
不必要な所に与える愛をやめる


そういう愛を断つという方法です