がんばることで楽しかったり
がんばることで心が満たされる頑張りは

好きなだけそこに
エネルギーを注げば良いのですが


がんばることで苦しくなったり
がんばることで辛くなったり
頑張ることが苦痛になるときは

そのエネルギーの向け先が違ってるよという
合図のときです


それは例えば、

やらなくてはいけない、とか
やらなくちゃいけない、とか
がんばらないといけない、と思っていることなのですが

それをやめていこう
そこにある思い込みを外していこう、というのが

〝がんばらないと上手くいく〟です


なぜならそれは

がんばる必要がないこと
やらなくていいこと
本当はやりたくないこと
自分じゃなくてもいいことなど

不要な場合があるものだからです


不要な所にエネルギーを注いでいるとき
私たちは辛い、苦しい、悲しいと感じます


だから
その辛さ、苦しさ、悲しさは

そのがんばりは違うよ
そのがんばりの向け先が間違ってるよ
という合図なので
そこに気づいて方向転換をしていきます

今までがんばってたものを反対側の
〝がんばらない〟の方向に舵を切る、のです





私は頑張り教だったので
頑張ることは当たり前

それは普通のことで
みんなも同じだと思ってました
 

私がやれば済むことだと思っていたし
私が頑張らないとって思った

苦労は買ってでもする、がポリシーで
がんばること=努力=“良いこと”だと思ってた

私がその役割だと思っていたし
私がやらなきゃいけないって思っていました
 


その根底にある思いは、

自分よりも相手が喜ぶように
(相手が喜んでる姿は自分もうれしい)

人のために、人が笑顔になるために

物事が上手く進むために
結果が出るために
成果が出るために

みんなが楽しめる場になるように
みんなが楽しめるように

そのためならと色んな仕事を引き受けたし
周りに配慮もしてました



そして無意識ながら
私は我慢をしていました


私がやれば、治まると思っていた
私がやれば、波風立たずに済むと思ってた

私がやれば、解決することだと思ってた
私がやれば、早く終わると思ってた

私がやれば、みんな楽できると思ってた

自分ではなく、人の手柄になるように
(自分の努力も報われてる気がしてた)

下の子や後輩に気遣いをしたし
自分は我慢して他者にゆずった

人が嫌がるような仕事も積極的にやった


そうしたら将来、
自分の力にもなるし
豊かになれると思っていました

そうしたら将来、
素敵な人になれると思ったし
そんな素敵な人になりたかった


人のためにがんばることは、良いことだと思ってた
人のためにがんばることは、悪いことだと思わなかった
人のためにがんばることは、悪いことだと知らなかった
 

努力は報われると思っていたし
努力してる人はがんばる“すごい人”なんだと思ってました

「がんばり屋さん」って、褒め言葉だったから
言われると嬉しいとさえ感じていました


上手くいってる人は
頑張った結果だと思っていたし

がんばったら
自分もすごくなれると思っていました



 

では、
何でそのとき頑張っていたのかというと
 
その方が仕事がスムーズに進む
その方が物事が円滑に進む

他の人が楽できる
自分もそんなに手間じゃない

自分ができる範囲だったし
それが最善だと思った
 
がんばることは良いことだと疑わなかったし
誰かがやらなきゃいけないならと自ら進んでやった

何かすることを“がんばる”って言うから
それは当たり前のことでした
 




がんばったら、報われる
がんばったら、幸せになる
がんばったら、自分の実力がつく

がんばったら、成長できる
がんばったら、結果出る
がんばったら、喜ばれる

がんばったら、成果出る
がんばったら、良いことある
がんばったら、役に立てる
 

何かを成すときって
がんばらないと何も生み出せないし

素敵な人たちは頑張ってる
そんな素敵な人たちは努力が大事って言ってる
 
何かすること=がんばる
何か行動すること=がんばる

だから「がんばろう」って思うのは
ごく自然なことでした
 




もう一つ、
がんばってしまう理由があります

それは、嫌われないためにがんばる


人は無意識の感覚に
認められたい
見捨てられたくない
嫌われたくない、という感情を持っています


だから
文句言われない、ためにがんばる
怒られない、ためにがんばる
居場所がなくならない、ためにがんばる
断るの悪いから、がんばる
 
こんなのが
頑張ってしまう理由にあります





こんなに身も心も使ってがんばってきたのに
何一つ報われませんでした


その“がんばる”は違ったんです
 
その頑張りは自己犠牲的で
辛くなった
悲しくなった
苦しくなった
 
誰も褒めてくれないし
誰も評価してくれない

なんにも報われないし
せっかくやった「のに」が出てくる
怒りが出てくる
 
誰からもお礼言われなくて
疑いや不信感が出てくる
 
誰のおかげだと思ってるの?
私に気づけよ、という謎のオラオラ感が出てくる
 

そう、
この「がんばり」は必要なかった
無駄だった、いらなかった、ものばかりです
 

もし自分がやりたくてやったことなら
「のに」は出てこないからです


お礼言われても 言われなくても
認められても 認められなくても

褒められても 褒められなくても
評価されても されなくても
 
何も思わない
気にならないのです


 
つまり、そう思うのは

本当はやりたくなかったこと
だったからなのです =͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)



次へ続く...