ブックレビュー箱庭特集⑲,吉田みを子他『「箱庭で遊ぶ」保育活動』晃洋書房,2001 | こころの臨床

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心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

副題はー子どもが楽しく遊ぶためにーと表紙の本題の上部に記されています。


この本は、個人的にですが、とても貴重な資料だと思いました。


それは、保育の世界で、「治療ではなく」「遊び」として箱庭を活用できるという視点が、この当時(2000年前後)の四国徳島では、すごく特徴的なというか特異なものであったということを教えてもらえるからです。

 

鳴門教育大学に「学校事故(生徒指導)、学校運営」及び教育法制度論等を講じておられた吉田嘉高教授と、妻君の吉田みを子先生…産業領域を中心に永きに渡ってカウンセラーを務めてこられた「武蔵野カウンセリング研究所」を主催されていた…とが、ご夫君の地元徳島のくるみ保育園園長からの要請で、保育活動に「箱庭で遊ぶ」活動を取り入れることへの指導援助を求められた経緯と活動報告です。

 

興味深い点は、当時、徳島において、病や障害など問題がある人や子どもが対象となるのが、カウンセリングであったり、心理療法であるという社会的な通念があって、それをいかに、払拭しなければならなかったかと腐心されている様子が随所に記されていることでした。

 

みを子先生が記述を分担されている中にも、東京での開業にあっては、来談者は会社でリーダーシップをとっている人も数多く、自分の考えを整理するために来談し、宣伝しなくても来談者同士の紹介でこられていたが、この地(徳島)は、自分がカウンセリングに通っているということを人に知られたくないという風土であると嘆いておられるところがあります。

 

ただ、にゃん的には、この四国というお遍路の地での「お接待」の慣習がどこか微妙に、影響していないのかな~と、無知無責任ながらつい感じてしまいます。そんな舶来のやり方をねじ込まなくても、もうすでに地域に根差した別の相互扶助があったのじゃないかな〜って。

はい、戯言です。

 

もうひとつ面白かったというか、衝撃だったのは、にゃんの日常の臨床対応が、みを子先生の冷徹なご指導理念においては、NGだらけだったんにゃ~~~と思い知らされたことでした。

 

たとえば、アセスメントとして事実関係を聞いてクライアントを取り巻く人的関係や支援状況を確かめるには、「事実」をできるだけ正確に偏向なく聞き取ることが必要です。


ところが、たとえば、みを子先生に指導を受けた体験の記録の中に見られる、みを子先生の「事柄を聞いてはダメ、気持ちを受容しましょう」とのお言葉の中のココロをちゃんとそれこそ、みを子先生のお「気持ち」を受容しないと、その教えは、教条的な禁忌の理念と化してしまうかもしれない虞がありそうです。

 

つまり、本来避けたかった「なにも聞いてもらえなかった」感を相談者に惹起しかねないと思われました。

 

まあ、あくまでも、これは治療や療法まして療育ではなく、「健常児」の保育活動の中で行う「遊び」の一形態なのだという主張なので、その文脈からは上述の懸念はないということになるのでしょう。

 

いや~、それらを記すのに、ここまで理屈を積み上げなくてはならないという状況が垣間見られますが、その理屈の中には、論理がどう繋がるのか行間読みだけではついていけない箇所がありますが、それはまだよいとして、引用さた参考文献の本文中に書誌事項が詳しく記されているところがある一方、まったく出典が記されていない箇所があります。

 

とりあえず、箱庭関連の参考図書としての不備は、p26の秋山さと子が再構成した「(グリュンワルト図)」と題された図表です。この出典が「箱庭療法講習会」となっており、出版年度と出版元が記されていません。しかし「箱庭療法講習会」という名称の出版物はどうも存在せず、これはもしかしたら、『箱庭療法事例集』日本総合教育研究会 千葉テストセンター, 1993なのかな~と思います。ともあれ、この再構成された図とその解釈(「空間表象は方向の問題で場の空間ではありません」)は卓見であると思います。