木曜レビュー[ドキュメンタリーのこころ] カルト集団と過激な信仰(2018)② | こころの臨床

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心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

カルト集団と過激な信仰 

② 男性原理による支配:クリスチャニティ・終末論 

 

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「スピリチュアリル」と「カルト」が結びつきやすいことは容易に想像できるでしょう。

 

双方ともに惹かれやすいのは、「男性」よりも「女性」が多いことが、いくつかの研究報告等

(...例えば、Roof,W.C,1993: “A Generation of Seekers : The Spiritual Journeys of the Baby Boom Generation” また林香里「信仰に向かうのは女性たち 背景にあるジェンダー不平等を見つめる」朝日新聞デジタル 2022.11.24  https://digital.asahi.com/articles/ASQCR3WDNQCPUCVL001.html など)

で述べられています。

 

「スピリチュアル」な集団においても「カルト集団」においても、ともにネオリベラルな時代性(・グローバリズム)の中では、生物学的女性のみならず〈女性性〉の搾取が亢進してゆくように思われます。

 

これは、今月初めに本連載の最初に紹介した『わたしの魔境』に具体的に描かれています。

 

外部の視座から「低俗」「笑止」としか見えないカルト集団の様相も、その中に取り込まれて、内部の〈法〉に支配されるなら、それなりの(マゾヒスティックな!?)安定感が得られます。

ニーチェの「奴隷道徳」の美徳の実践といえるでしょうか。

 

クリスチャニティの極端な戯画として、キリストの再臨とまでの自称に至ることが、ムン・ソンミョンをはじめ往々にして生物学的に「男性」である教祖にはありがちです。

 

これは無論、一方的な支配ではありません。

 

支配される奴隷の幸福を求める側が在ってこそ相互補完的に、「貴族」と「奴隷」が成立しています。〈女性性(生物学的な女性ではない)〉は、常に搾取される側に落とし込まれるという慣いが、カルト集団においては、顕に戯画化されます。

 

それらは、ハーレムなり性的スキャンダルとして、「バラエティ」ティストの「ニュース番組」やユーチューブコンテンツの俎上で、視聴率や閲覧回数を上げることで経済活動に貢献し二次的に消費されるわけです(間接的搾取)。

 

 

終末論は選民思想に通じ、神に選ばれるためには、奴隷道徳の奉仕と犠牲が必要であり、そこで屠られるのは、歴史上いつのころからか常に〈女性〉とされてきました…。

 

〈女性(・児童・高齢者・障がい者):社会的弱者〉は、グローバル経済下においても依然、(概ね)「被害者」の役回りとなっています。

 

そこで「(社会学で言う)被害者化」問題が浮上してきます。

「被害者」は、保護され措置され治療されるべき対象であり、そこに登場するが、保護し措置し治療する側の「専門家」です。...言い古された、するーされる関係のニューバージョンです。

 

かねてより議論されてきた、「専門家」論が気になってきますが、これは流石にひとまず措かないと、もうすでに拡散しかけている語りがさらに収集がつかなくなってしまいます...ので、これ以上は控えます。

 

国家認証の「専門家」として、「心」などという実態が目に見えず曖昧な代物を扱う職種にお墨付きを与えたことが、あと何十年か後に顧みられた歴史にいかに意味づけられるでしょう。

 

心理臨床家は、河合隼雄が『紫マンダラ』で述べた「女性の目(全体の構図を把握)」を持って物事を捉えることができなければならないと思います。

 

〈科学者ー実践者〉モデルは、近代科学合理主義に基づくものと理解できるでしょう。とすれば、「男性の目(物事の具体的な成り立ち・構造を解明する)」モデルが称揚される公認心理師の多くは、「女性の目」も併せて継承することに、はたして関心を持てるものでしょうか。

 

 

ネオリベラリズム:

市場の競争を富裕層や大企業に有利な仕組みに変え、国家が福祉予算を削る方向を指すもの。

(磯直樹「新自由主義的性向と文化資本:社会意識空間の構築」『江戸川大学紀要』31,pp,281-290, 2021)

 

 

グローバリズム:

要は、多国籍企業の権力が国家を凌駕している状況。