こんばんは!

*ACのための心のレッスン*かなえです。







アメブロに投稿を始めて1ヶ月が経ちましたニコニコ飛び出すハート


毎日投稿してみようと決めて始めましたが、なんとかここまでこれました。


今日は何を書こう?と朝から考えていたのですが何も思い付かず、、


そういえば自己紹介をまだしていなかったなと思い出したので、自己紹介をしたいと思います。


少し重い話しもありますが、よかったらお付き合いください。




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私は、いわゆる機能不全家族で育ちました。


いつどこから言葉や身体への暴力が来るかわからない目の前の現実を感じるのが怖くて、長い間、何も見るまい、何も感じまい、何もすまいと、感覚や感情を麻痺させてきました。


そのため、私は自分のことを「空っぽ」と感じていました。


「空っぽの私」は、空っぽなので判断する基準を持ちません。


自分で考える習慣がないので考えを進められません。


自分が何を好きで何が嫌いで何を欲しているのかもよくわかりません。


何が正解かもよくわかりません。


いつも人の顔色をうかがっていました。


でも「空っぽ」の自分を人に見せることは出来なくて、まるであるかのように振る舞ってきました。


いつばれるかといつもびくびくしていました。


機能不全ではない家庭で育っている人の習慣とか立ち居振舞いとかを、必死で真似たりしていました。


正解はいつも私の外にありました。


そんな自分を好きにもなれないし、いつも心に剣が刺さっているようだし、安全な場所はないし、心はいつも破裂寸前で、自分でもいつ爆発するかわからない爆弾を抱えているようでした。


結婚して子供を授かり、思い通りにいかないことも多く、子供と一緒に大泣きしたことも何度もありました。


このままではだめだ、なんとかしなければと心ばかり焦ったり、この道がどこに続いているのかわからない、頼りない心細い気持ちの日々を長らく過ごしてきました。


「カントリーロード」をよく口ずさんで、
この道ずっと行けば
あの街に続いてる気がする
と自分に言い聞かせていたこともありました。


私は、「私」を、実家を出るまでは手放してしまっていましたが、子育てを通してもう一度一生懸命手繰り寄せようとしていたのだと思います。


私の鈍いアンテナでも引っ掛かることは試してみようと、拙い行動力でいろんなことをやってみました。


それが結果的に、「空っぽの私」を満たし、「空っぽの私」を育ててくれました。


今、50代になって、「私」と繋がれている時間が増えているなあと思えるようになってきました。


うんと回り道をしましたが、意味があったなあ、私の血肉になってくれているなあ、と感じています。


「空っぽの私」が少しずつ、「ある」なあと思えてきたことをお伝えしていけたらと思っています。





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