かんじるココロケア あまのこころ -2ページ目
 
 
 
子供のときにかんじたそれに
 
そのときのわたしは
 
寂しさ 退屈 暇 と名付けたけれど
 
それがそれでした
 
 
 

 

 

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コトバの中にはなにもない


外もないから中もない


だから、その表現はホントではないけれど

表現として

この二元的世界観において


しっくり きたり

伝わる ことがある


すべては詩である

なにかを忠実に表現したり

指し示すことができない失敗

コトバ遊び



 

 

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コトバの中にはなにもない

 

なにも見つけることはできない

 

 

 

左と右 良し悪し 正誤 あれこれ

 

 

 

どのように解釈し

どのように振り分けてみても

 

 

つかめるもの

 

所有できもの

 

わかるもの


理解できるもの



なにもない

 

 

さまざまな別々の名前がついているそれ


 

そのすべての名前を 愛 に差し換えてみよう

 

 

たったひとつ 愛 がある

 

 

 

 

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退屈な子ネコが

 

目の前のものに

 

ちょっかいを出し始める

 

 

人間が “なにかをしよう” と動き出す衝動も

こんなかんじなのでしょうね

 

 

ちょっかい

 

世界にちょっかいを出す

 

いまのこれに

名前をつけ

意味をつけて

ルールをつけて

ゲームをしている。

 

そうやって意識が遊んでる。

 

 

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気づいている、気づいていない

 

わかっている、わかっていない

 

悟っている、悟っていない

 

 

それも 物語 の中のお話。

 

 

なにかに到達するための道具とするなら

それは失敗するか、失望するだろう。

 

それを為すことで、幸せになりたい

それを為すことで、特別でありたい

それを為すことで、なにかから逃れたい

 

それを望む者の不在

 

そこには誰もおらず

はじめから生じたこともない

 

それを為す者、気づく者の不在だから。

 

 

 

 

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