なにに気づくか気づかないかについては、
これも勝手に起きる。
自動的。受動的。
それについて
“わたし”に選択権はほとんどない
、、、、と表現してもいい気がする。
そうおもう、そうかんじる、好き嫌い
それらが “わたし” に浮かび上がって
そう 知覚 するだけで
だから、ほぼほぼ “わたし” に主権はない
選んでるように選んでいない
選べていない、のだよね。
それでも、現時点における「そうかんじ、そうおもう、好き・嫌い」という 知覚(これ)をアテにするしかない。
それが導いてくれたり方向性になったりする。
好き・嫌いに関しては「 うまい・まずい 」に置き換えると
わかりやすい。感覚的、本能的、そんなに複雑な理由はない。
かんじるココロケア あまのこころ