沖縄与那国島 | こころ元気研究所 鎌田敏(びん)『元気が出る講演会・笑顔いっぱいの研修』講師ブログ  

こころ元気研究所 鎌田敏(びん)『元気が出る講演会・笑顔いっぱいの研修』講師ブログ  

笑顔と元気をお届けすべく、全国各地で講演・研修活動。 行政、PTA、社会福祉協議会、企業、商工会議所、労働組合、経営者団体、青年会議所、医療機関、福祉介護施設、民生委員、安全大会など多方面で講師を担当。



この時期になると思いだす。



与那国島でのエイサー。





1994年夏、沖縄本島~石垣島~竹富島~波照間島と旅をし、すっかり琉球弧の魅力に取りつかれてしまった。


沖縄本島では、今帰仁村でカミアシャギと出逢った。この写真は、2年前に写メったものだ。


元気村三丁目の「び~んずカフェ」(豆カフェ) 


竹富島では、お宿のおばぁから戦争マラリアの話を聞いた。

石垣島では、夜空一面に星たちが...流れ星もいくつも見た。テントの中で寝ていると何度かすごいスコールに目が覚めた...でも、すぐ寝ていた(*^_^*)。白保の海も懐かしい。


波照間島では、日本の各地から集められた石で創られた自力建設の碑(故・大竹Jrさんが中心となって建設)に立ち、人が住む島の中で最南端の島ですから、目の前に広がる大海原を眺めておりました。




翌年の夏、大阪南港から那覇の港へ船で向かった船


まだ、映画タイタニックは公開されてないので、だれもあの有名シーンをやっていなかった...



那覇の港から石垣島へ...またまた船で向かう船



石垣島で宿泊し、その後、小浜島へ向かう...もちろん船さ船


小浜島では、大きな木の枝に一羽のふくろうが...月明かりに照らし出されて幻想的でした。まだ、「ちゅらさん」は当然放送されていない。



そして、さてどこ行くべ?となる。


地図を見ながら、「与那国行こうぜ」となり、民宿を予約。



石垣に戻り...またまた船で向かう船



泡盛でほろ酔いの僕らは、与那国の夜を闊歩し始めた。


三線の音が聞こえてくる。


公民館だ。


覗いてみる。


エイサーの練習をやっていた。



島の人に見つかった。そして「やっていけ~」と言われた。



その日から、毎晩8時からエイサーの練習に参加することとなった。



僕らは与那国にしばらくいることに決めた。

あっしはこの時、25歳。気ままでございました(;一_一)。「今もそうやんけ!」と言われそうですが...汗




エイサーの練習後はいつも島の方々と酒盛りだ。



ヤシガニを捕りに行くぞ、といわれついていったが、ヤシガニの姿かたちなく...


素潜りで貝を捕りに行くぞ、といわれついていったときには、ドビックリした...海人、畏るべし...めっちゃ潜っていく...友人は貝を食べ過ぎて、腹をこわしたが(*^_^*)


昔、海人だったというお宿のご主人に伊勢海老を捕ろうと、前の日から網を張り、エイサーの練習後いつもの如く3時くらいまで飲んでたんだが、5時にはご主人に叩き起こされ、海で網をたぐり寄せたが...小魚一匹網にはかかってなくて...(*^_^*)



民族衣装をきて、太鼓とバチをもち、エイサー本番の日を迎えた!


軽トラックに乗り込み、一軒一軒訪問し、エイサーだ!


最高の気分でしたヽ(^o^)丿




今でも、バチをくるっとまわしながら太鼓を叩くことはできますがな。



あの時、与那国ではそれまでエイサーはしばらく行われてなかったようだ。だから、指導する人以外は、島の人も昔の記憶を思い出しながら練習していた。そんな中に、僕らはいた。毎晩、楽しかったのです。当然「Drコトーの診療所」は放送されてませんね。島の方々との交流、懐かしいっす!



台湾がすぐそばだ。



島には信号がひとつだけあった。(当時)




この時期になると思いだす。与那国の夏。




元気村三丁目の「び~んずカフェ」(豆カフェ) 

沖縄本島に訪れる際、必ず足を運ぶのが、琉球王国最高の聖地とされる斎場御嶽(せいふぁーうたき)。

※世界遺産に指定されてから、有料になってます。
特に好きな場所が、この三庫理(サングーイ)。



今も自分へのご褒美に沖縄へ行くことが多い。

所帯もってからは、もっぱら沖縄本島...リゾートですわ。

しかも、一年のご褒美ということですから12月が多い。


http://cocoro-mag.seesaa.net/category/6378542-1.html


最近の沖縄旅↑