ちょうど今、テレビで映画「武士の一分」をやっている。
「日用心法帳」という過去ブログに書いた「一文」を再掲っす!
『 勝つことがすべてではなかった。
武士の一分が立てばそれでよい。 』
(藤沢周平「隠し剣秋風抄」)
藤沢周平の「隠し剣シリーズ」はいいっすね!
人間の悲喜こもごも…哀愁が漂っている剣客本です。
『男はつらいよ』大好き男の僕(シリーズほぼ見尽くしてます)としては、山田洋次監督の『武士の一分』は当然観た。映画もいいけれど、やはり藤沢周平にはかなわない。
「一分」(いちぶん)とは何か…
僕は、
【 これだけは、ゆずれないもの! 】
と、解釈しています。
人生、仕事において、
妥協すること、妥協しなければならないこと…
たくさんあると思います。
娑婆(しゃば)とは、そういうところ。
しかし、勝ち負けなど関係なく、得か損かなど関係なく、
【 これだけは、ゆずれない! 】
こういう
『 ぶっとい軸 』 『 ぶれない軸 』
を何か一つだけでも心の奥底に堅持していることは大切なことだと思う。
肩書き、立場、学歴、職歴、実績などなど…
そういったもの全てが削ぎ落とされても
「最後に残るもの」
それが
僕たちの「一分」ではなかろうか。
あっしにも「一分」があるぜ( ̄∩ ̄#
あっしの「一分」にふれると、あっしはプク~とふくれっ面して戦うのさ!
沖縄本島にある琉球王国最高の聖地・斎場御嶽(せいふぁうたき)の三庫理(さんぐーい)
奥へ進むと拝所となっていて神の島といわれる久高島を望むことができる
島でのんびりと海や空や月を眺めながら「おいらの一分」とは何ぞや?
てなことを、しみじみ考えるのも粋ですな:*:・( ̄∀ ̄)・:*: