ありがとうさようなら。
2016年12月30日18時40分ころばばは亡くなりました。
誤嚥性肺炎の苦しさは、それは例えて言うなら滝を真正面から顔に受けているくらいの息苦しさだそう。そんな状態で5日間頑張った末、本当にその寸前まで頑張って頑張って。
それはそれは苦しそうで本当にかわいそうだった。
今晩がヤマと言われてから2日目の晩は、夫が病室に泊まり、その翌日はココロコが泊まり、そしてその翌日は息子が泊まり、そして30日の朝、息子とココロコが交代し日中番をしているところばばの妹が見えて一緒に過ごした。
夕方ココロコは夕飯の支度をするためまた息子と交代してもらい一度帰る。
その時息子がじじを連れて1時間ばかり番をする。
夕飯を作ってココロコが戻った同じ頃、義理妹が到着し、そこで息子とじじは帰るのだが、その時息子が、じゃあばば、一度帰るね!またね!と言った時、「うん。」とかすかにうなづいた。そのすぐ後に話しかけたが反応はなかった。日中もずっと反応がなかったのに。
そして間も無くその時は急にやってきた。
義理妹とおしゃべりしていると、ばばの様子がちょっと変わった。
あれ?と思った途端に血圧、心拍数、呼吸値があれよあれよと下がってしまい、顔色と唇の色が真っ白になってしまった。
やばい!と即座に息子と体調を崩し家で寝込んでいる夫にLINEをしたが、みんな死に目には間に合わなかった。
ばば!待って!みんな来るまで待ってーーー!と揺さぶり叫んだがもう呼吸は止まってしまっていた。
死に行く瞬間の姿は、ココロコの父が亡くなる時と同じだった。
そのあと、おくりびとに体を綺麗にしてもらい乱れた髪も整えられお化粧もしてもらったばばの顔は、とても綺麗だった。
やっと苦しみから解き放たれて安堵した久しぶりに見た穏やかな顔だった。
ばばお疲れ様。
なんだかんだ言ってきたけど、長い長い介護生活大変だったけど、この世から居なくなっちゃうと、やっぱり寂しいよ。
訃報を聞きばばの兄弟夫婦と夫の義理妹が駆けつけ、我が家史上初の大人数が一同に集まった大晦日だった。
激動の2016年は、最後の1日まで大忙しだった。
来年はどんな年になるのだろう。
少しは休めるのだろか。
さようなら2016年さようならばば。
お疲れ様ばば、ココロコ。
それではみなさんも良いお年を〜!!
今年のこれでもかまだくるか。
今年はホントに1月からずーーーーーっと、じじばばのことで大忙し、1年通して休みなしの今まで生きてきた中で一番忙しい一年だった。
そしてなんと、ここへ来てこの年末にまた事件が。
ばばが救急入院をした。
その3日前に歯医者に連れて行った時は、すごく元気で歯医者の後ランチしてショッピングして、その日はパーキンソンのオフ時もなく始終調子良かった。
それなのにその翌々日に、、、
その日は娘の成人式の振袖の前撮りだった。ちょうど撮影中に施設から携帯に電話があった。
「お義母さまが下血しました。今施設の看護師と総合病院へ行ってます。」と言われ娘の前撮りの全てを終えてからじじに夕飯を買って届け、すぐに総合病院へ向かった。
ばばは、すぐさま
胃カメラと大腸検査をしたが、出血は見られなかった。あと考えられるのは小腸だが、小腸の検査は大学病院でなくてはできない。と言われ、
と、それよりも今、誤嚥性肺炎になっていることがわかりまして、ちょっと危険な状態だ、と告げられた。
え?急に?なんで?若干の疑問はあったが、とにかくそういうことで
ばばはあれよあれよと言う間に弱っていき、23日に入院してから、26日にはいつでも連絡がつくようにして置いて下さいと言われるまでになってしまった。
そして27日の朝には家族を呼んで下さい。と言うことになり、ばばの兄弟たちにまで知らせみんな病院にかけつけることとなった。
ココロコは、じじと息子を連れて行き、夫は会社から病院へ直行し、娘は予定を切り上げて、一同がばばの元へ行った時、ばばは酸素マスクをつけられ真っ白な顔をして今にも死にそうな顔をしていた。
今回は、以前のおっぺけご臨終劇とはわけがちかう本物のようだった。
みんな涙ながらにばばに声をかけた。
するとばばは息も絶え絶えなのに、険しい顔でしきりに何かを訴えている。
殺されるところだった、怖かった。殺人鬼に追われてる!ここは危ない!看護師に騙された。騙されちゃいけないよ!危ないから子供たちを連れて来ちゃいけない!早く帰ろう!と、言う。
このひとは、最後の最後まで穏やかになれないんだなぁと、可哀想に思った。
たぶん、検査が胃カメラや大腸検査と、苦しい検査ばかりだったので、そんな妄想につながってしまったのだろう。
しかし、そんな物騒な会話であったものの、我々の登場により、ばばの顔色はみるみる良くなって行った。
看護師さんは、あの状態でよくあんなに喋れる、とびっくりしていた。
医師のはなしでは、今日か明日がヤマだと言う。しかし、その明日を過ぎて2日になろうとしている。
昨夜は夫がそばに付き添い一夜を明かし、仮眠できるベットソファを用意してくれたものの一睡もできなかったというので、今晩は、どこでても、どんな状況ても寝られるココロコが泊まることになった。
二言目には早く死にたい、楽になりたい、死ぬことなんて全然怖くないと言っていたばばは、結局いざ本当に死に近づくと、怖い怖いと言い、必死に生きようとする。
今もばばは、頑張っている。
呼吸がくるしそうだが、顔色は、とても良い。
この分だと、昨日のアレはまたあのおっぺけご臨終劇になりそうな匂いがして来た、、、。
家族全員と、アメリカから帰国までした長女家族と、兄弟夫婦総出のオールキャストで。。。
娘の新生活
さて、娘、一人暮らしを始めて2週間ほどになるが、一応自炊もしてるるようで、こんな写メを送ってきた。
ある日の晩御飯。
魚の付け合わせのニラもやし炒めの味つけが濃かったと反省していたが、初めてにしては、中々やるじゃないか。
しかし、シャケの向きが逆なのと、冷凍ご飯をチン解凍したのだろう、おむすび状態のまま茶碗に乗っかってるので、ほぐせよ!というのだけ指導した。
そんな娘、、、テレビのリモコンを引越し荷物に入れるのを忘れたので、引越し日の3日後には、それを取りに実家へ帰ってきたのだが。😄
娘の新居の近所は、一通り生活用品は揃えるに不便はないが、可愛い雑貨は売っていない。そう言う店は、断然我が家近辺の方が揃っている。
と言うわけで、リモコン取りがてら地元での可愛い雑貨屋での買い物目当てで帰ってきた。
自分でみてくるのかな、と思いきや、やっぱり付き合わされる。結局午後から夕方遅くまでかかってしまったので、夕飯はそのまま外食にした。
家にいる夫とじじは、外出をめんどくさがったので寿司を買って届け、それから娘とふたり久々の焼肉に行った。
そして次の日娘は帰っていった。
引越しの時に泊まりいった時も、今回も、別れ際、娘がちょっと内心寂しそうな顔をするのが見て取れる。
娘が家を出てから、何かと楽には楽だが、ひと段落つくと、ココロコもやっぱり寂しさがじわじわとやってきた。
先日、ANAのマイレージを食事券に代えてインターコンチネンタル赤坂でのランチに娘も誘って夫と3人で行ってきたのだが、その時の帰りも途中で娘とは別の場所へ帰る、というのがちょっと寂しかったりする。
娘もたぶん同じく思っている。
その日は、ランチの後、一緒にサントリー美術館を見て東京ミッドタウンをブラブラした。その間、夕飯何にしようかなぁと呟いている娘に夫がなんか買ってやるから選べよ、と言っていたがミッドタウンでは見つからず、買わずじまいだった。帰りの電車で夫が、じゃあこれでと千円渡していた。
娘は、千円?と渋い顔をしていたが、、、😄
夕方娘からまた写メが送られてきた。
ほう、外出して帰ってからでもちゃんと作ったんだ。
ま、娘、頑張ってます。
今日は何してんのかなぁ。何食べてんのかなぁ。。。やっぱり気になるもんである。😅

