第91回箱根駅伝雑感~青山学院大学初優勝 | わたしの「らんにんぐ★ふぃろそふぃー」

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走ることでいろんなことを学ばせてもらいました。それはある意味自分の人生哲学になりうるかなという思いで、日々思ったことをランニングネタで書いたり書かなかったり、ゆるく、ほそく、ながく続けていけたらなと思います。どうぞ、末永く見守ってやってください。

箱根駅伝が終わりました。戦前の予想では駒沢が圧倒的に有利といわれていましたが、ふたを開けると、青山学院大学がとんでもない記録で優勝。山でヒーローが誕生した事にとどまらず、走った選手全員が力をしっかり発揮して、勝つべくして勝った結果だったような印象さえ受けます。


山を上った神野君のインパクトは本当に大きかったですが、圧巻の走りをしていた選手とそれを支えた監督、コーチ、そして親御さんの努力の結果だと思います。それにしても「あの」アオガクが・・・というと失礼かもしれませんが、選手たちも言っていたように、ここ数年で本当に力をつけて強豪校になった印象があります。


丁度僕が1年生の時、第80回の記念大会が行われるタイミングでした。その記念大会に合わせて出場校の枠が増えるというビッグニュースが様々な大学のモチベ―ションを上げ、特に長年箱根に縁がなかった大学や新しく箱根を目指す進行校などはこのタイミングを逃すものかと必死に強化を進め、今では常連になっている城西大学もこの時が初出場。予選会も芦ノ湖でおこなわれるという特殊な状況で、うちの大学もかなり大々的に出場を目指していました。


ただ、国公立という事でお金があるわけではないので、奥の手として大学院との合同チームの編成。箱根の予選会は一生に4度しか出られないため、3人の先輩が大学4年時の箱根駅伝予選会には出ずに、大学院に進学して80回記念大会の出場を目指すという荒業をやってのけたのでした。もちろんルール則ってますよ(笑)


注:今では大学院と大学の合同チーム編成はできなくなりました


当時のこの「人生をかけた」先輩たちの選択をテレビが取材していて、予選会の前はカメラが付きっきり。メンバー発表の時に感極まって号泣した19歳のミヤカワ少年はバッチリテレビのネタに使われましたとさ。。。(-_-;)


その時同じく注目されていたのが青山学院大学でした。うちと同じく長らく箱根駅伝に縁がなかった大学です。ただ、注目されていたのは選手ではなくてマネージャー。選手を支える敏腕マネージャーがいますよ~ということで注目されていて、選手の走力はそれこそうちの大学とどっこいどっこい。両校とも予選会で姿を消しましたのですが、原監督が就任したのはその後でした。


80回の記念大会を境にOB会からの支援がなくなりました。学生主体でイロイロな試みをしてみたけど、結局は知識も経験も薄い学生がやる事なので、10人の駒を集めなければいけない箱根駅伝に至っては本当に先が見えないトンネルを進むような取り組みでした。その一方で青山学院大学はコツコツと経験と実績を積んで選手の勧誘もし、力をつけていったんでしょう。


10年後、大きな差がひらいていました。うちの大学がダメという事ではなく、本当にやるべきことをちゃんとやって、ここまで来たんだなという事を証明してくれたような今回の優勝。選手とともに寝食を共にした監督一家。そんな「父」と「母」を持った選手たちは一年中陸上競技の事を考えて生活してきたんでしょうね。


そんな事を今日のゴールテープを切る瞬間に思い起こしました。少しでも箱根駅伝という世界をかじったからこそ思うところがいっぱいです。彼らにとって箱根駅伝に出た、優勝したということは人生の中でちゃんとした勲章になると思います。箱根駅伝が日本のマラソンを弱くしているという事もよく言われますが、全員が日の丸を背負えるわけじゃないんだから、こうして大学生のうちに思いっきり打ち込める事を見つけてそれに没頭したという経験はその子を成長っせてくれるんじゃないかなと思います。

話があらぬ方向に行きそうですが(笑)純粋に感動しました。いいもんみて心も体も充電です。さて、また明日からもがんばろう


トレッドミルで30km走をやりながら箱根を観戦したみやかわでした。