■Facebookをやらないことがそんなに特別なこと? | 【脱・いい人BLOG】at WILLでいこう

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京都の心理セラピスト長井啓悟が、セラピストの活動の中での気づき、学び、出逢いを綴っています。
at WILLとは「意のままに」「心のままに」「 思うままに」などの意味で、少しでもあなたにあなたの思うがままに人生を送っていただけたらという思いを込めました。

こんにちは。長井啓悟です。

「Facebookやめたの?」

昨年の暮れ頃からよく聞かれるようになりました。

正確にはやめていません。

僕は個人用アカウントとビジネス用のFacebookページの2つに登録しています。

もちろんこれまでのご縁もあります。

メッセージでの連絡用として個人アカウントはずっと残しておくつもりです。

Facebookページの方は、今は更新を止めていますがいずれ再開させていく予定です。

ただ個人アカウントの方にはこの1年近く一切投稿を行っておりません。

過去記事も全削除するつもりで大部分を削除しつつあります。

なぜか?

いろいろ思うところがあるからです。

SNSという言葉が日常的に使われるようになって久しい昨今、人と人が実際に会ってのリアルなコミニュケーションからSNSという媒体を通じてのヴァーチャルなコミュニケーションが主流となりつつある(実際はもうそうなっているかもしれません)ことに非常に違和感を感じる出来事がいくつかありました。

まず年明け早々、普段からも親しくおつきあいさせていただいていた方からこのように云われ、たいへんショックを受けました。

「最近あなたの記事が見れないけど、私のことをブロックしてるの?」

「そんなやり方しないで、私が気に入らないならはっきり言えばいいでしょ!」

友達だと思っていた人なので、怒りとか腹が立つとかいうこと以上に本当にびっくりしました。

もちろん、じつは投稿を控えていること、記事を削除していることを説明しましたが、取りつく島もない感じで、その方とは険悪なまま疎遠になりました。

その方にとってはFacebookでのつながりは、日常での現実的な人間関係よりも重要なものであったということでしょう。

そのとき思ったのは、人がこれほどまでに現実的なものから距離を置き、非現実(ヴァーチャル)なものに依存しきっている現実ってどうなんだ?ということ。

携帯電話、いえ、パソコンが普及した時点でこの流れは始まっていたのかもしれません。

人が自ら創ったシステムに翻弄されているのです。

そして会う人会う人になんで最近Facebookやらないの?と聞かれたり、最近更新してないから元気かなと思って連絡してみましたというメッセージをいただいたりすることにも非常に違和感を感じます。

「Facebookやらないことがそんなに特別なことなのか? ?」

そんなことがあったりして、僕自身Facebookへの投稿はやめよう、過去の記事も削除しようと思った大きな理由は。。。

僕はもともと人とちゃんと会って話したり、食事したり、遊んだりが好きな人間なんですが…

自分の日常やプライベートを公にすることで自分は今まで何を得ていたのだろう?

こんなことに何年も費やして、パソコンやスマートフォンばっかり気にして、どれだけの無駄な時間とエネルギーの垂れ流しをしてしまっていたのだろう?

こんなことに割いてきた時間や労力があったなら、これまでにどれだけほかにもっと有意義なものを生み出せたかもしれないのに…。

そう。

気がついたら時間もエネルギーも、気持ちや意識までもヴァーチャルなものに奪われてしまっていたと感じたからです。

そう感じたときに、ウォールに溢れるいろいろな投稿を見てみたとき、ここでも違和感を覚えましたし、なんだかとても気持ちが悪くなり、自分の投稿に至っては恥ずかしさと自分の愚かさを感じ、大変嫌気がさしました。

夢中になってるときってそれが当たり前になっているものです。

一生懸命投稿に余念がなかった頃は、人と会えば写真を撮ってその場で投稿し、セミナーなんかに行けば自分はそういう世界と縁のない一般の人たちより崇高な人間だといわんばかりの勘違いで、どや顔の自撮りをアップしたり・・・。

本当、情けないというか愚かというか、バカでした。

自己啓発や成功哲学系のセミナー講師や心理カウンセラー、◯◯セラピストなどと名乗っている人の中には、自分の顔を公に晒せることは成長だとか素晴らしいことだとか、大いにやりなさいなんて言っている人たちもいますが果たしてどうなんでしょうね?

だれでも自分の意思で自由に投稿できる場で、極めて限られた身内に顔を出してみたところで成長云々いわれてもね、言ってる方もどうなんだかと感じてしまいます。

もっと自分のためにエネルギーをむけるべき方向はほかにもいろいろあるはずなんですよね。

自己成長が望みなら、もっと自分の意識を向上させることに時間をかけたり、本を読んだり、音楽を聴いたり、仕事でもスポーツでも趣味でも新しいことにトライしてみたり、旅に出るのもよいでしょう。

ほかにもやりたかったけどできていなかったことにチャレンジしてみたり、もっともっと自分をリアルに喜ばせること、楽しませることに力を、時間を注ぐことのほうがよほど自己成長にもつながるでしょうし、自分の軸がしっかりとしてくると僕は思います。

なにより実際に人と関わること、つながることのほうが、そりゃときにはつらいこと、むずかしいこともあるでしょうけど、人生を何倍にもよろこびに満ちたものにしてくれるでしょうし、人としての感性を心を豊かにしてくれるはずだと信じて疑いません。

そういう視点からこれまでの自分の投稿をみたとき、非常に人から認められたいという思い、欲求に支配されていたことに気づきました。

Facebookにはそこそこビジネス的にうまくいっている方の投稿もたくさんあって、そういう人たちの投稿にはたくさんのいいね!がついていたりします。

自分もそうなりたいと思う、その人たちの取り巻きがたくさんいて、いいね!をつけないとだんだん疎遠になったり、仲間はずれのような状態にされたり、陰口を言われたりといったこともあるという話も時々耳にします。

つまりどれだけ経済的に成功していても、現実の人間関係やパートナーシップがうまくいっていない人が多いということ。

人から認められたいためにがむしゃらに学び知識や技術を蓄える人、とにかくお金を稼ごうと躍起になっている人、そうやって権威をかざすことでまわりに人をはべらせる人。

もちろん学ぶこともスキルを身につけることも大切です。

お金を稼げる人へのリスペクトもあります。
それができるだけでもスゴいことだと思います。

ただ、その経済的成功者の周りにいる人たちだって、自分の無価値観を埋めるために権威のある人とのつながりを誇示したくて集まる人だったり、その人自身の人間性に魅かれているわけではなく、その人のスキルやビジネステクニック、おいしいおこぼれがほしくて取り巻いているだけだったり。

つまり何が言いたいかというと、僕の中にもそんな思いや考えがたくさんあったことに気づいたということです。

『他者からの承認欲求』

僕はずっとこれを満たしたくてFacebookというヴァーチャルな世界にしがみついていた時期があったことに気づき、そしてFacebook上には他者承認がほしくてほしくて枯渇した人がたくさんいる事実。

わかりやすく云えばこういうことです。

「ねえねえ見て、僕いいでしょう??」

「見て見てー、ほら僕ってスゴいでしょう!?」

「ねねね、もっと僕を見て!もっとかまってー!」


少なくとも大切な時間を疎かにしてまでそんなことを思っていた自分に恥ずかしさと、嫌気がさすのを覚えたからです。

そんなことするために、そんな世界の住人に気に入られるために、そんなふうに無機質な人付き合いをするために生きてんのかよ?

こんなこと思ってやってるうちはハリボテにしかなれない。

どれだけ自分の価値を認めていなかったのでしょう?

誰に認められたかったのでしょう?

なにがそんなにさびしかったのでしょう?


そう思ったとき、いろいろ自分自身考えさせられました。

そういった経緯から、もう投稿はやめようと思ったのです。

どうしても言いたいことがあればこうしてブログに書くこともできるし、ちょっとしたつぶやきならTwitterで事足ります。親しい方とはLINEでのやりとりだってします。

SNSをやる人、SNSそのものをすべて否定しようというのではありません。

そこに執着し、囚われとなって大切な人とのつながりや時間、心を失う生き方はしたくない。

自分から目を逸らす生き方はしない。

僕の選択はそうであるということにすぎません。

「Facebookをやらなくなった理由」はそいうことなんです(^_^;)


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