昨日は、ベッドを新しく買うことと、どんなタイプのベッドを買うかを決めたので、一度は整えた寝室を、また少し模様替えして、いつでも搬入できるように、再度整えた。

 

本当は、数日前に買うベッドは決まっていたのだけれど、今使っているベッドより、少し大きいサイズなこともあり、どうやったら収まりがいいかを考えては、もっといい方法はないか考えていた。

広い部屋なら簡単に決まるのだろうが、壁やテラスの位置など、どうしても制限があることから、結局は今の配置のままに落ち着いた。

ただ、少しだけ家具の移動が必要なことから、移動して、ついでに掃除をして、テラスの網戸を拭いて、冊子のレールの埃を掃いて、雑巾で綺麗に拭いたら、ちょうどお昼。

 

これ以上、何か仕事をしたら、限界が来るなと感じたので、午後はのんびり、ゆったり過ごすことにした。

それが、母と父を看取って習得した、自分を守る動き方、休み方。

そして、ハードだったと感じたときは、翌日も休むようにしている。

限界だと気づいているのに、仕事を終わらせたくて、無理をしたり、残っている分を片付けてしまおうとすると、翌日必ず、調子が悪くなるということも、ここ数年で気づいたこと。

 

夜、たまたまNHKにチャンネルを合わせていたら、興味深く録画予約をしていた番組が始まったので、そのまま観ることにした。

 

NHKスペシャル「うつを生きる」という番組

ミュージシャンで、サカナクションというバンドでボーカルを務めていた山口一郎さんが、うつであることを公表した。

そのタイミングに合わせて、彼に密着取材をして、彼自身、うつを発症したきっかけ、闘病生活、そして現状を伝えてくれていた。

 

山口さんは、北海道小樽市の出身で、10代でバンドを結成、音楽活動をしていたが、MCをほとんどやらなかったこともあり、イマイチ人気が出ないバンドだったそう。程なくしてバンドは解散するが、ミュージシャンとしての夢を捨てきれない彼は、あたらにバンドを結成、東京進出を目指す。

 

東京での活動を始めて、当初は目立たない存在だったが、徐々に人気が出て、数年後には紅白歌合戦の初出場を果たす。

その活動の中で、注目するのは、山口さんの変貌だった。

MCを積極的に行い、バンドの知名度や楽曲の人気を上げるため、積極的に活動したという。

テレビにも出演。地元でバンド活動をしていた時とは、180度異なる変化だった。

 

それが、山口さんの心身に負荷をかけていたことを、当初は、おそらく山口さん自身、気づかなかったのではないだろうか。うつへの助走が、そこから始まった。

 

とはいえ、東京で知り合った人や仕事仲間は、元々の彼の気質など知る由しもなく、明るくムードメーカで、楽曲作りに関しては、ものすごくストイックな人というイメージだったはず。

そういう仮面を被りながら、彼はひたすら音楽への道を邁進する。

 

しかし、コロナのパンデミックが始まったことで、山口さんの心身は壊れ始める。

コロナによって、不要不急の外出ができなくなり、当然、ミュージシャンたちは仕事がなくなる。

自分たちはまだいい、フリーで活動している人や、まださほど人気が出ていない人たちは、明日のご飯にも事欠く状況に陥り始め、なんとかしなくてはいけないと感じた山口さんが中心となって、救済への活動が始まった。

 

そうしたことが、より彼の心と身体への負担、重荷となったのは、容易に想像できる。

見た感じでもわかるように、彼は繊細で、神経質そうな面を持っている。

ちょうど体調が悪い時だったのだろう、テレビで見かけた山口さんは、頬がげっそりとこけ、いかにも病的な感じだった。大丈夫かなと、他人事にも心配したことを覚えている。

 

体調不良を覚えた山口さんは、精神科を受診。

うつ病と診断され、事務所所属のカウンセラーさんのところで、カウンセリングを受けてきたそうだ。

番組では、二週間に一度の受信風景を流していたが、まだ寛解とまではいっていない様子だった。

 

それでも、だいぶよくなったということから、サカナクションは全国ツアーを決定。

練習や打ち合わせなど、忙しい日々が始まった。

が、しかし、山口さんが現場に出てこない日が続いた。

マネージャーさんが、彼の様子を聞いては、バンドメンバーに伝えていた。

カウンセラーさんから、バンドメンバーは山口さんに連絡をしないようにと言われていたそうで、うつを発症してからは、まったく連絡をとっていないと話していた。

 

もちろん、それはカウンセラーさんの経験から、正しい判断だとは思う。思うけれど、正直「どうなのかな」と感じた。

メンバーとのやりとりによって、焦らせたり、時には言い合いになったりする危険性はある。

それが症状をより悪化させることになるだろう。

そういう諸々を危惧してのことだとは理解できるが、マネージャーさんだけが、彼とつながる唯一の存在だとしたら、彼は誰に思いを吐露できるのだろう。

 

ドクターやカウンセラーさんに話せばいいと、単純に言えることではない。

そうした専門の人には言えない、言っても理解してもらえない話があるはず。

初めは聴くだけでいいとしても、回復すればするほど、話の内容を理解した上での傾聴や理解、共感が欲しくなるのは当然のこと。

 

それからしばらくして、事務所に最初にバンドを組んだメンバーの一人が、転職して来てくれた。

そして、彼が山口さんの家にいき、ずっと彼に寄り添ってくれたという。

彼と小樽時代のことを話したり、解散したバンドメンバーの近況を話したり、そうした中で、山口さんは徐々に回復していったそうだ。

 

限界がきて決壊して、うつになったように、何らかのきっかけで、回復していくこともある。

山口さんにとって、かつてのバンドメンバーが来てくれたことが、回復のきっかけになったのだろう。

そして、山口さんが辛かったように、それを黙って見守り続けてきた 、バンドメンバーも辛かったはずだ。

 

全国ツアーを間近にして、山口さんはリハーサルスタジオに来るようになり、元気になって復帰を果たす。

 

ただ休んでいただけでは回復は遅れたかもしれない。

彼を奮い立たせる何かが、ステージにあったのだろう。

ステージに立ち歌い、演奏し、観客と一体になることで、エネルギーをもらったのかもしれない。

 

 山口さんは決して一人じゃない、寄り添ってくれるひとはたくさん。

 だけど、その声援に無理に応える必要はない

無理に元気になった風に装う必要もない。

ありのままでいることが、病からの回復をより促せるエネルーになるのだ。

 

サカナクションを背負って生きてきた山口さんは、その重圧と責任の苦しさ、辛さを誰にも話せず、一人苦しんでいた。

しかし、これからは一人で背負う必要はない。

というか、一人で背負うことをこれからも続けていたら、またうつを発病するだろう。

それを繰り返していくうちに、本当に折れてしまう。

それだけは、避けて欲しい。

メンバーや周りの人たちも、山口さんの荷物を、分け合って背負って欲しい。

 

 

私も、父のことで、色々と心身ともに疲弊し、限界が来た頃、山口さんと似たような症状がしばらく続いた。

幸に、ベッドから起き上がられなくなることはなかったが、朝、起きて身支度をして、味のしない朝食を摂った後、その場から動けないことが長く続いた。

 

そんな日があるかと思うと、次の日には普通に起きられて、普通に仕事ができる日が来たりする。

しかも、それが何日かおきに来るのではなく、予測がまったくつかない。

朝、強い怠さや疲労感に襲われ、その日一日、どうにも動けないという状態に見舞われ、どうしちゃったんだろうと、自分で自分がわからなくなった。

音楽にまったく興味がなくなり、レコードもCDも聴かなかた。

毎日欠かさず弾いていたピアノも弾く気にならず、ブログも描く気が起きず長く休んでは、近況を書くということが続いた。

 

あのときの、動けないほどの怠さは、今はない。

数ヶ月経って自然に上向いてはきたが、以前ほどにはまだ、戻っていない。

仕事したり、出かけた日の翌日は、やはり怠かったり、疲れが抜けなかったりするので、そんな時は無理せず、のんびりと休むことにしてる。 

多分、それがいいのだろうと思っている。

 

気になったのは、病気になっても、メンバーに隠さなくちゃいけないという山口さんの言葉だった。 

それはつらいなぁ

でも、メンバーで活動しているからには、そんな場面にも遭遇するのだろう。

 

うつは、誰もがなる可能性のある病だ。

どんなことがきっかけで、発症するかわからない。

過労、心労、病気、人間関係 あげればキリがない。

そして、なってみなければ、どんな風に身体が動かなくなるか、どんな風な心の状態になるかわからない。

 

なってみなければ、その苦しみや辛さはわからない。

もちろん痛み痒みもそうなってみなければわからない。

 

なので、周りにうつの人がいたら、わからないことを前提に寄り添ってあげてほしい。

 

山口さんも、少しずつ症状が軽くなり、仲間と楽しく音楽活動ができることを祈っています。