母親の世界観を鵜呑みにしている
クライアントさんが、最近非常に多い気がしています。
思考では皆さんそんなつもりはないのですが、
生き方はやはり、そうなのです。
私のところにお越しになるクライアントさんは
当然、私にとっても意味深いクライアントさんです。
そう、私自身、かわいそうな母に忠誠を尽くしてきたので
テーマが同じ人が多いのです。
子どもは母親が大好きです。
小さい頃から折に触れ、母から聴いてきた言葉は
潜在意識に埋め込まれます。
例えば、私が埋め込まれてきた台詞は、
「ごはんやおかずが足りないときは、自分が我慢するものよ」
「外に出ていく人たちはお金がかけるのよ。
お金を稼げないお母さんはつつましくしないと」
旅行も行かず、服も買わない生き方。
→自己犠牲の美徳 お金を受け取らない決意
「おばあちゃんのとこには、新しく買った服を着て行ってはだめだよ」
→嫌われないように、嫌みを言われないように、他人の目を気にする感覚
「まったくのろまなんだから。あんたが作るのを待ってたら
夕飯の時間に間に合わないでしょ。
どうせお父さんたちは口がうるさいから、
あんたが作るごはんを美味しいって言うはずないから」
「ほらね、やっぱり美味しくないって言ってたよ。だから言ったでしょ」
→やれば怒られる、迷惑がかかる。だからやらないほうがいい。劣等感。
「あんたはおじいちゃんにもお父さんにも可愛がられているからね」
→愛を受け取らない決意
「女は三界に家なしって言ってね。
女は、幼少のときは親に従い、嫁に行っては夫に従い、
老いては子に従わなければならない。それが女。安住の場はないんだから、
我慢するしかないんだよ。」
→自分の人生を生きたら、本音を言ったら、行き場がない。生きていけない。
まだまだ鵜呑み状態の幼少期に、
絶対的存在の母親に繰り返し言われ続けてきた台詞は、
子どもにとって真実となります。
母のような生き方はしたくない、
そんなのおかしいと、思春期になって思い反抗もいっぱいするのですが、
それでも怖いぐらいに、潜在意識の中で守って生きるのです。
思考ではそんなことを思っているつもりはないのに、
潜在意識が引き下げてくる。
だから生きづらい。
母は、ともかく、父や祖父母たちに文句を言われないために、
怒られないために追いだされないために、
日々、必死だったのでしょう。
母の実家は、兄嫁が牛耳っていて
母の母こそが、「自分が耐えればいいのだよ」と
文句を一切言わずに生き、母に教え諭した人だから、
帰る場所もなかったのです。
そしてそんな、文句を言わず耐える祖母の在り方を
美徳として鵜呑みにし、受け継いだ母だから。
でも、被害者意識はいっぱいです。
自分を我慢させる、夫も姑も親戚たちも、みんなひどい人なのです。
そして、それに耐えた自分はえらい!のです。
そうせずに自由に生きている娘は、自分より劣る存在なのです。
忠実に、その母のシナリオの中で生きてきて、
ずっと母がかわいそうで、父や祖母と戦ってきたのです。
自由に生きている自分は、申し訳ない存在なのです。
そして、それでいいのです。
母より劣っている方が、ダメな私で怒られている方が、
父も皆も、「やはりお母さんのごはんがいちばんだね」
と言って母を誉めてくれるから。母にダメダシしないから。
それで家族の輪が保てて
母が平穏でいてくれたら
嬉しいから。
でも、
母の世界 = 私の世界 ではないのです。
母のために生きていく必要性は
もう、ないのです。
母のために誰かと戦う必要性も
ダメな自分でいる必要性も
愛を受け取らない必要性も
ないのです。
抱えてきた生きづらさも、自信のなさも、
反応して落ち込んだりやめたくなったりしたあのこともこのこと
腹が立ったあのこともここのとも
あの人もこの人も
原点は、やはり母!!!!!
強烈な見えない支配。
ぶちやぶってゆきましょう。