今年になってはじめてコタツを購入した我が家。
子どもたちはずっと欲しがっていたのだけれど、
狭いリビングがさらに狭くなるし、こたつ布団をあっという間に汚しそうだし、
何より、寒がりの私はいったん入ったら、動かなくなりそうだし、
と、避けてきたのですが、
この寒さに負けました。
こたつでぬくぬくと親子で談笑しつつ、
息子は宿題、私は原稿書きをしていると、ふと、
愚問だと分かっていながら、
それでも聞きたくなったのです。
「ねえ、お母さんて、お母さんとして何点?」
悪い点数を言われたら当然落ち込むだろうし、
いい点数を言われても、この子は親の顔色を見たり、
気を使ったりするようになったんだろうかと、きっと不安になる。
だから、決してするべきでない質問なのに、
それでも質問したのは、
自分を律したかったのかも。
でも、息子の口から出たのは意外な台詞。
息子 「誰を基準に?」
私 「・・・・・え?」
息子 「お母さんが基準だったら、100点やろ」
私 「・・・・・・・」
息子 「この宿題と同じやん。何%のうち何%ですか?ってことやろ」
私 「・・・じゃあ、かず(息子の名前)は?」
息子 「僕が基準だったら、100点やろ」(やや、いいのかな?的に照れ笑いしながら)
私 「そっか、そうよね、2人とも100点よね」(笑)
・・・なんとも、オメデタイ親子。
でも、実はこれこそ、私が学んできたメンタルの真髄。
あるがままの自分でOK!
あなたがあなただから、すばらしい。
いくら、家計簿がつけられない母親でも、
忘れ物三昧の母親でも、
いくら、漢字のテストがさんざんな息子でも、
パンジーをチンパンジーと本気で言い間違えている息子でも、
それでも、そんな自分が基準であれば、いつでも100点。やっぱり100点。
それが、私であり、彼だから。
その100点に満足せずに、
つい、もっと上をと望んでしまう。
もっと上を目指さなければならないように思ってしまう。
ハングリー精神と、高望みや欲深さは、表裏一体。
ハングリー精神がないということは、
今に満足できるということ。今を大切にしているということ。
ハングリー精神がいい悪いではないし、(人それぞれの性分によるから)
がんばるべきときは、もちろん、ある。
ここぞというときに、上を目指すべきときもきっとある。
でもそれは自分の意志でやるだろうし、
きっと気づけばやっている。
そして、頑張ることを強いるのではなく、
そんな自発的エネルギーを高めてあげることが、きっと親の役目。
親の高望みやもっともっと・・・という欲を子どもで満たそうとしてはいけない。
そんな気づきを得た、自分を律することのできた、日常の中のひとコマでした。