ここは西サハラの砂漠で、

家は、比較的安全な、洞窟だと思うようにしている。

 

(電磁波襲撃が火災報知器やら、電球やら、周囲はゾンビ軍隊だらけで、

睡眠強盗をされたり、タイムロックされたり、

全然、家は安全ではないのだが。)

 

電磁波兵器やクローン軍隊だらけの外に、

もう、ほとんど、短時間しか出ないようにしている。

 

映画の、

外は、放射性物質の世の中だから危険だという世界は、

ある意味、真実だ。

少なくとも、わたしと娘にとっては。

 

数年前の話だが、

あまりに異常地帯の埼玉に来るはめになったことで、

ある手段をとっていた。

 

ゾンビだらけの埼玉で、

ゾンビに近づいてきてほしくないから、

派手な色、たとえば、真っ赤や明るいオレンジ色の洋服に、

サングラスに金髪に染めた姿とかにしていた。

 

(末期症状の脳なしゾンビには、全く、危険サインも通用しなかった。

埼玉ゾンビ、相当、イカレテいた。この大宮区は、すでに、2回は、

住民の多くは実質死亡(クローン肉体の脳が停電、別のゾンビが肉体を乗っ取っているので、

何も問題はないように隠しているだけ)している。)

 

正直にいえば、

あまりわたしが好きな格好ではない。

どちらかといえば、

生成り色やカーキ色、ベージュとか、

ミクカラーのミルキーな感じとか、

フラミンゴ色ぐらいが色彩の彩度の範囲で、

少しレースが入ったり、ステッチが入っていたり、

そのような、慎ましい洋服を着用したいものだ。

 

なぜ、そんな他者に不愉快かもしれない格好をするのか?

 

毒蛇や毒をもった、鮮やかな保護色をもった生物たちと

同じだと思うが、

 

毒をもっているため、

傷つけあいたくないから、

敢えて、そのような、毒をもっているから、近づかないでね!

というサインを発しているのだ。

 

わたしは、破壊神と信じられている、

そのような存在だ。

 

わたしに出会うことすら、

本当は、生命が終わろうとしているサインだから。

同じ破壊神がついている同類の王家だけが、

出会ったり交流することが許されているのだろうと感じる。

 

弱いゾンビ人間が、わたしと敵対すると、

おそらく、わたしと出会った後で死亡していると、

現代のこの審判後の時期に、そう感じる。

 

自分が毒(超能力・霊能力混合)をもっているから、

それは武器でもあるので、

無駄に戦うことを回避するために、

傷つけあうことを回避するために、

わたしは埼玉で、艶やかな格好で、

必要がある用事や買い物で外出していた。

 

ある者は、こういう。

 

見た目が怖そうにしている人ほど、
本当は臆病だと。

宗教勧誘のプロは怖い人から誘っていく

 

 

それは、そう判断した、その人(観測者?w)が、

そうだから、そう考えているだけ、

わたしは違う。

相手と自分を守るために、

人と違う、いかにも、近づきたくないだろう格好をしていた。

 

そして、

わたしは寂しさや孤独を当たり前に生きてきたので、

あまり孤独や寂しさを苦しいと思ったことがない。

物心ついたときから、孤独が当たり前だから。

当たり前のことに疑問を呈しないのは、

みんなの贅沢病も同じでは?

 

そして、

孤独であるがゆえに、人との、わずかな交流で、

人のありがたさ、ゆえに、親切にしたくなるものだ。

そして、交流できた人に感謝できるものなのだ。

 

孤独を扱えてこそ、自立なのではないだろうか?

 

人に嫌われたいとは思わないが、

別に、嫌われてもしょうがないし、

お互い様に嫌いだろうし、

人に好かれたいとも思わない。

 

 

自分の力でできないこと、

 

たとえば、

わたしは、自動車やバイク、単車の運転ができそうにない。

自転車で行けないところは、

人の車をあてにしようとはせず、探さず、

あきらめて、半径5キロメートル以内で暮らしてきた。

 

「自分の分を弁える」という言葉があるが、

だれかを当てにして行動を起こすのは、

甘えすぎではないだろうか?

 

最悪も想定して、計画を立てて生きて行く。

 

生死をかけるような、

そんな命をかけるような場所には、

日常生活ができるのであれば、

行く必要ないだろう。

これが当たり前の判断だ。

 

わたしが宇宙創造者でも、

宇宙の素のアバターでも、

人間である限り、

未体験のことは失敗がつきものだ。

重篤な失敗をしそうなことには、手を出さない。

する必要がない、日常生活に関係がないことには、

好奇心より、慎重であることを心掛けて、

あきらめるという手段をよくとってきた。

 

だから、

悪魔崇拝と呼ばれる者たちの誘い水、誘い糸に、

わたしは乗らなかった。

 

自分が責任をとれる範疇だけの、

好奇心を満たす方法をとることをおススメする。

 

宇宙には「無条件で助けて!」が、

基本的には通りません。

 

もっといえば、

宇宙には言葉だけの、

「ごめんなさい」「ありがとう」も、

全く意味のないもので、???という無駄なことだ。

 

基本的に、

困ったときは、神頼みというのは、間違っている。

ない!

働きに応じて、助かるという現象が起きるだけだから。

それ以外は、

エゴにとりつかれた、ゾンビ=悪魔崇拝=強盗殺人組織が、

すべて取り仕切っている罠(トラップ)と考えてください。

 

棚から牡丹餅は、ない。

棚から牡丹餅が降ってきたら、危険のサインだ。

 

ああ、

聖書の「HOLY GRAIL」という単語を知ったのは、

1998年ごろの、26歳の時だった。

 

英語を勉強するとき、

必ず、どこにでも、聖書がベースにあることを知る。

わたしは、全く知らないし、宗教に興味がない。

だから、

「HOLY GRAIL」の訳「聖なる杯」の具体的な、

日本語翻訳が、イメージできなかった。

 

でも、今なら、

わたしは、こう日本語翻訳する。

 

「HOLY GRAIL」=棚から牡丹餅

 

青天の霹靂の突然の幸運

でも、いいけれどねw

 

何もないところから、自分の都合のよいことが、

起きるわけないからね。

普通に生きていれば、わかること。

 

聖書がいっているのは、

この棚から牡丹餅の、

盗賊同士が、聖杯を取り合う。

その聖杯とは、王や女王を殺害したあとの、

遺伝子からできた、科学文明のモノ

それは、若返りや美貌、才能横取りといった、

魔法にかかったかのような、夢のような世界かもしれないが、

実質、悪魔的な宇宙のアバター殺人事件だ。

それが真実だから、しょうがない。

 

 

 

 

好奇心は悪いことでもない。

好奇心から技術や思考の進歩があるのだから。

 

なんに対しても、

許容範囲の幅があるものだから、

好奇心も行き過ぎては、いけない。

扱えるだけ、責任をとれる範疇に、みなさん、してください。

 

人を当てにするなら、

その好奇心は遠ざけてください。

 

宇宙は、

よい見本と悪い見本を公共において、

みんなが目撃できるところに配備しているから、

自分でよく審判、判断して、

よい見本のできるところは、見習えばいい。

 

よい見本だからといって、

やはり、人間である限り、完璧な見本の人は、いません。

神も、やっぱり、普通の人間でもあると思うので、

お願いごとを神にするよりも、

自分でできることから、お願い事内容の到達できるところまで、

努力することだ。

 

神の力とか、仲間の集団の力が必要なら、

その願い事自体、犯罪のきっかけになるから、

やめなさい!

 

だとすると、

神社やお寺、世界の宗教施設まわりは、

すべて、すべて、間違えているということ。

 

そんなお祈りと称して、

神を呪って、神から強盗、暴行一味になる暇があるなら、

自分の日常生活をきちんとしたら?

 

祈るだけ時間がもったいない。

神は、生贄より、無駄が嫌いだと思うよ。どの神も。

とくに、時間の無駄づかいが嫌いだよ、神も宇宙も。

 

 

今、寝ずの番をしていて、

変なことをいう人がいたから、

違うよって、記事を書いた。

 

ジョジョの奇妙な冒険のアニメにも描かれていたけれど、

世の中には、破壊神が同居している、

霊体のような人間が、普通に歩いているから、

関わってほしくないのだし、

関わらない方がいい。

役割が違うから、関わらなくていいのだ。

本当に怖い人(暴力ではなく、破壊神)は、いるのだ。

よく見極めて。

 

破壊神は、審判をするために、掃除のために、エネルギー治療のために、

みんなの近くに来ているのだから、友だちでも対等でもない。

ふさわしいモデルとして、閻魔大王の公務人と思えばいい。

 

 

まだ、皇族や皇室と嘘ついている外国ゾンビが、

日本に襲撃テロを仕掛けようと、

企んでいるようで、見張っているから、

寝ずの番なのだ。

 

百舌鳥 モズ

寝ず ネズ

モネが出てきたw

 

モネは、池の絵→生贄

について、問題提起を絵画でしようとしたのだろうか。