男色大鑑 巻二ノ二
      『傘持てもぬるゝ身』

どうでも良い事ですが、「こりん」と入れると最初に出る変換予測が「コリン星」とは、これいかに?


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浦の初島は波荒く、六甲の山風激しく、夕立雲たち重なり、平朝盛(幽霊)も出てきそうな雰囲気。
程なく雨降ってきて、道行く人は思わぬ難儀となった。

さて、そのような雨の中。
明石より尼崎への使者、堀越左近という人が生田の道の木陰で雨宿りしていた。

そこへ十二、三歳になる美少人が、まだ夏であるのに紅葉傘を持って、それを差さずにやって来た。
左近を見かけ、
「唐傘の御用に立てて下さい」と傘を下人に渡した。

「ご好意は有難い。しかし不思議な事である。何故それを持ちながら、差さずにご自分は濡れておられるのか」

その小人は涙を流した。それを見て左近は言った。
「理由があるのだろう。話してみなさい」

「私は長坂主膳の倅、小輪と申します。
父は浪人して甲州から豊前へ立ち退く際に、船中にて病死しました。
仕方なくこの浦里に弔い、この土地の人の情けでここに母と暮らしております。
母は傘の細工を覚え、生活の為に男のする仕事をなさっている事を思えば、我が身が濡れるといって、天のお咎めも恐ろしく思われ、差さないのです」

左近は小輪の心掛けに感心し、母の住む里まで供をつけて見送った上で、明石に帰ると殿のご機嫌を見計らって小輪の事を申し上げた。
「その物を連れて参れ」と殿は仰せられた。

左近が喜んで迎えに行くと、
小輪母子共に“さんしゃ”(中国式礼法)して来て、御前に連れて行った。


小輪の生まれつきの美しい顔ばせは、遠山に見初める月のようである。
髪は声なき鳥、芙蓉のような眼差し、鶯の声、梅のような素直な心根であった。

その様子は次第に顕れ、日増しに殿の覚えも目出度く、ご寵愛を受けるようになった。


お次の間に控えている寝ずの番が聞き耳を立てると、殿のお戯れも激しくなり

「そちの為なら命も惜しくはない」
と仰せられるが、小輪はこれを有り難いとは思わない様子。

「ご威勢に靡く事は、衆道の誠とは申せません。
私も憚りながら心を磨き、どなたでも執心をかけて下さる方があれば、身に変えても親しくし、浮世の思い出に念者を持って可愛がってみたいと存じます」

殿は少し苛立ち、これを座興にしてしまおうとしたが、小輪は更に言った。

「今申し上げた言葉は神に誓って嘘ではありません」

これには殿も呆れたが、この芯の通った心根を憎からず思われるのだった。



ある夕暮れ、風待つ東屋で殿は小姓を大勢召して、各国の名酒を楽しんでおられた。

にわかに星空が暗くなり、はるか柿本神社の松林が騒めき、風は生臭く、たなびく雲の中に、一つ目の入道が軒端近くへ飛んで来た。

左の手を二丈ほども差し伸べて、その座の人々の鼻をつまむので皆は興ざめし、まずは殿の前後をお守りして御居間へ急いでお連れした。

その後、地響きがして、山が崩れるような音がした。



夜半過ぎ、築山の西の茶屋で杉戸を破って、歳をとった狸の首が転がり込んだ。

今にも牙を鳴らし、凄まじい形相のありさまを殿に言上申せば

「さては今宵の振動は、その狸の仕業であるな。
誰が仕留めたのか」

御家中に詮議したが、この手柄を名乗り出る者はなく、惜しくも名は埋もれてしまった。



それより七日過ぎての丑の刻。
大書院の棟に少女の声がした。

「咎なき親を殺した小輪の身の上は、まもなく危うくなるだろう──」

声は三度、小輪を罵って消え失せた。

「さては小輪の手柄であったか」と感心しない者はいなかった。



その後、御普請方奉行が
「狸の荒らした板戸を修理しましょう」と申し上げれば、殿は魏の文候の例を出し、
「小輪の手柄を皆に見せる為にも、そのままにして置くがよい」
と仰せられ、小輪には有難いご褒美もあり、殿のご寵愛もますます深くなった。




この頃、母衣大将・神尾刑部の次男、惣八郎という者が、つねづね小輪の心底に心惹かれ、文を送り、互いに心を通わせて、忍び逢う時節を待っていた。


年も暮れ、十三日の大掃除。その後の吉例の衣配りの夜。

小輪は小者(下男)の才覚により、着古しを母へ送る葛籠の中に惣八郎を隠し、御次の間まで忍ばせた。
そして宵の口より腹が痛むのを理由に引きこもった。

はじめのうちは殿も小輪が戸を開け閉めする戸車の音を気にしていたが、そのうちいびきの音ばかりとなった。

小輪は惣八郎にま見えて
「恋は今ぞ」とかるた結びの帯も解かず身を任せ、この上もない情けをかけ、行く末までもと約束を交わした。


二人の「二世まで」との声に、目をお覚ましになった殿は、枕元の素槍の鞘を外し、
「まさしく人の声がした」とお出になろうとした。

小輪は殿の袂に縋り付き
「これは殿自ら勿体無い事です。
人影など見えません。我が身の苦しさに心の鬼が来て、咬み殺せと申したまでの事。
何事もお許し下さいませ」

小輪が騒がず申し上げる隙に、惣八郎が忍び返しを飛び越えて逃げ出した。

その影を殿は見つけ、小輪をいろいろと詮索したが、身に覚えがないと言う。

「さてはいつかの狸の仕業か」
と殿も納得した時、金井新平という隠し目付が御前に乗り出した。

「只今の足音、さらにざんばら髪に鉢巻まで見届けました。
忍び男である事に相違ございません」

それで吟味の状況も変わってしまった。
「白状せよ」と問い詰められた小輪だが

「小輪に命をくれた者。たとえこの身が打ち砕かれようとも申しません。
この事はかねてより、お耳にお入れしておりました」
と少しも嘆く様子もない。


それより三日過ぎ、十二月十五日の朝。
兵法稽古屋敷に召し出された小輪。

諸家中の見せしめに、長刀を持って殿自ら
「小輪、最期」とお言葉をかけられた。

「長年のご寵愛を頂きました身として、御手にかかる事、この上何も思い残す事はありません」

にっこり笑って立ち上がった小輪の左手を、
殿は打ち落として
「今の思いは」
と問えば、小輪は右の手も差し伸べた。

「この手にて念者を撫りましたから、お憎しみも深いでしょう」
と言う。

左手を落とされると、くるりと立ち回って

「この後ろ姿、またと世にない若衆ぶり。
皆さま、見納めに」
と言う声も次第に弱り、殿はその細首を落とされた。


殿の御袖はそのまま涙の海となり、居合わせた人々の泣き声もしばらく止む事はなかった。

死骸は妙福寺に送られた。



あわれにも露に消えてしまったが、
朝の霜にもはかない朝顔の池というのは、この寺にある。
昔、都のいたづらな人(光源氏)も須磨に流され、懲りずに明石の入道の娘に恋をして、ここへ通った時に詠んだ歌

秋風の  浪や越すらん  夜もすがら
                         明石の岡の  月の朝顔

この歌も衆道の歌であれば人にも知られるのに、何しろ女の事なので、忘れられてしまったのだ。



「さて小輪が殺されても、念者がいまだ名乗り出ないのは、よもや侍ではあるまい。
野良犬の生まれ変わりだろう」
と人の悪評の草となった。



年が明け、一月十五日。左義長の場にて

惣八郎が新平の両手を打ち落とし、とどめまで刺して、首尾よく立ち退いた。

小輪の母を何処かに隠し、自分は朝顔寺(妙福寺)に駆け込んだ。

小輪の墓の前に、心底を詳しく記した高札を立て、
今年二十一歳の最期として、夢のまた夢、眠るように静かに腹を掻っ切った。

明くる朝、人々がこの有様を見ると、腹にありありと一重菱の内に三引を切ってあった。
これこそ小輪の定紋であった。


「恋をするなら、こうあるべきだ」
七日のうちは、国中の山を探して、手向けの樒で朝顔の池は埋まってしまったという。




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謝れば殿は許したと思うんですよ。
小輪も分かっていて、だからこそ挑発したんでしょうね。

母と自分を引き上げてくれた事に感謝してたと思います。
気持ちがあるからこそ、最期は殿の手に掛かる事を望んだのでしょう。

殿と念者、どちらへも一分立てるためには、この結末しか無かったんでしょうね。

そう思うと、殿に同情してしまいます。
小輪が謝る事を最後まで期待しながら、腕を落としていったと思うと切ないです。
きっと心の奥で泣いていたでしょう。

惣八郎さんも、小輪の定紋を刻んでの最期。その心意気は素晴らしく、だからこそ切ないですね。

つーか、箱に入れて、殿の隣の部屋でコトに及ぶとかダイタン過ぎやしませんかね。
隣の部屋が小輪の決められた部屋だったのか。
そうでないとすると、この時、既に小輪の覚悟は決まっていて、見つかる事を期待していたのではと勘ぐってしまいますがね。

箱に入れて、って、絵島生島の話をふと思い出しました(フィクションのようですが)。絵島生島の方が後の時代ですかね。

この話、とにかく激情的で人気なのも分かります
何より、こりんって名前かわゆい
そして強情なコである。



帯も解かずに……って、原文のままだけど、
何かこの時代の意味あるのだろうか。
時間のなさ忙しなさを例えてるのか?
ただエロい絵しか思い浮かばん……着たまま、とか萌えしかない



※左義長…正月飾りなど燃やして無病息災を願う、どんと焼きみたいな公家の行事だって。