男色大鑑の二巻のあらすじに行きます〜


男色大鑑 巻二ノ一
        『形身は二尺三寸』


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遠州行灯程のものでも、なかなか作り出せない物である。
観世又次郎という者が観世紙縒(こより)を作り始めて、今の世に重宝している。


紙縒に使う要らなくなった反古紙の中に、母の手跡による「勝弥十三歳になった時、見るべし」と上書きのある書状を見つけた。

『父・玄番を討った竹下新五右衛門は吉村安斎と名を変え筑後に身を隠し、表向きは小児科医と見せかけ、家中の軍学指南をしている。
女の身ながら本望を遂げようと覚悟したが、甲斐もなく死んでゆくのは無念である。
そなたが成人した後、この所存早や討ち果たし、草葉の陰の父母を喜ばされよ……』

それより後は最後の筆と見えて、(筆が乱れて)はっきりとは読めなかった。


自分は今年十八歳になる。
母の遺言から虚しくも六年も過ぎてしまったが、知らなかったのでは仕方がない。


中井勝弥がこの御家に仕えるようになったのは、十四の歳の頃。
殿が御駕籠より見初めて「あれは」とお尋ねになられ、その日からお仕えする事になった。

それからは飛ぶ鳥落とす勢いとなり、勝弥と争う者もなく、これも皆、殿のお陰と仇にも思わなかった。


ある時はだらしない寝姿に外れた枕を当てがって下さったり、
胸元のはだけたのを、ご自分の白小袖で塞いで下さったり、風邪など引いてはと思って下さるお気持ちは、夢の中にも覚えていて身にあまるご寵愛はおそろしく、
また夢から覚めては、「他に聞く人もない」と若殿にも仰られないような家中の大事を話して下さったりした。

お互いに松のように心は変わらぬと、顔の脇にある人の気づかない程のホクロを気になると言って、手ずからお抜きになられたり──

かれこれ有り難い事ばかりで日々を過ごしていた。
せめてもの御恩に、大殿にもしもの事があれば、天下の御禁制は知っているが、潔く殉死しようと心に決め、無紋の上下(死装束)、小脇差、書置きを命あるうちから用意しておいたのだが。


世というものは分からないものである。
我が姿は今が花の盛りと、少しはうぬぼれていたのが口惜しい。



先月の初め頃より千川森之丞に、殿の御心は移ってしまわれた。
何事にも偽りの時雨降る。

十月三日に自害の覚悟を決めたが、障る事があり七日にはと延ばしていたところ、
この母の一通を見つけ親の敵を知るとは。
まだ武運が尽きていないのだ。

殿へのつまらない不満で自害に及べば、後悔を残し後の世の障りとなるかもしれない。

今思えば、運が良い。
ご寵愛の時ならば、敵討ちのお暇願いもたやすくは許されないだろう。
今こそ、その時である。


敵討ちの所存の書付を持って、殿のご機嫌を見計らって差し上げれば、殿は
「当然な願いだ」
と思し召され、暇乞いの盃を賜った上に
「目出度く安斎を討って帰参せよ」
と五百石のお墨付きを頂き、さらに路銀まで賜った。

十月十二日、忠実な下人五人連れて三田八幡に参詣し、京へ向かった。



ある時、大仏前で、竹の小笠で風を避けている、見た所物乞いにはなりそうにもない大男が、
「これ、一銭恵んでくだされ」と勝弥に声を掛けて来た。

勝弥が顔を見合わせると、首を縮め、袖で顔を隠す。
様子を疑い、なおも顔を見れば、古い傍輩の片岡源介であった。

「この有様に、何としてなられた?浅ましいお姿です」
と勝弥が事情を尋ねれば、源介は涙ぐむ。

「拙者は望みがあってお暇を頂いたところ、頼みにしていた片岡外記殿が亡くなられて、そればかりか、眼病を患い、養生しても回復の見込みもなく、下人は皆見限りました。
人の因果は分からないものです。
死ぬに死ねぬ命一つ、永らえて何になるのか。
しかし身を捨てることより、残る名が惜しまれ、
今一度、故郷に戻ろうと思っているところです。
まだ二十六になったばかりですし、貴方のお顔もよく見える程になりました。
それにしても、貴方のこの旅の御上京が気に掛かります」

と話しているうちに、人通りが多くなったので、

「とにかく、夜にまた話しましょう。
それまでここにいて下さい」

と涙ながら別れた。
日が暮れて勝弥が一人で訪ねて行ったが、源介は場所を変えたのか、行方が分からなくなっていた。


これは悲しく、勝弥は河原の無宿の者たちに声をかけ、尋ね歩いた。

川の音が静まり、人の寝る時間を過ぎた頃。
流木を拾い集め焚き火をし、石を据えて土釜をかけ、茶で酒盛りを始めた者たちがいる。

「昔、男の業平が、“唐衣きつつなれにし”と詠んだそうだが、今の自分は紙衣だ」

そう大笑いする人を見れば、源介である。
勝弥を見ても恥じる様子もなく、
「これは珍しいお客である」と言う。

勝弥は涙を隠し、

「私がこの度西国へ下るのは、父玄番の敵の住処を聞き出し、筑後まで行く事になったからです。
人の身は分からないものです。もし返り討ちに合えば、また会う事もないでしょう。
お互いに江戸詰の頃、私にご執心下さり、有り難いお手紙も頂きましたが、大殿のご寵愛を受ける身であれば、思いながらもその時を過ごしておりました。
今、またお目にかかれての嬉しく、兼ねて心懸りの一つでした。
今宵は一晩中語り明かしましょう」

勝弥が膝枕をすれば、感激したが、
衆道の事はさておき、江戸で長屋住まいと時の事を思い出し、心の雑念を振り払い、その寝姿を見守って一睡もしなかった。

夜明けも近づき、別れの時、
源介は仕込み杖の刀を取り出し勝弥に渡した。

「これは大原の実盛二尺三寸」

このような身になっても腰の一振りを手離さないのは頼もしい心掛けである。

「そもそもこの刀は先祖が信玄公に召使われていた時、川中島の一戦において名を挙げた刀と言い伝えられている。
この刀にて本望を遂げなされ」

勝弥は遠慮なく賜って、

「安斎を討って、またお会いしましょう。
それまでの形身に」
と、代わりに自分の刀を置いた。

そして側にいた側にいた盲目の者に
「頼みがある。
これを旅費に源介殿を国許に帰してもらいたい」

百両の包みを渡して立ち去った。



それより勝弥主従は商人に変装し、近国に敵を探し回った。

年が暮れ、春の野に杉菜や菫が咲き始めた頃、ようやく敵の在宅を見届け、主従六人、心を合わせ最後の酒盛りをすませ、その暮れ方から、退路を考えながら出掛けて行った。

敵の住処は南に谷川があり、土橋一つで通じている。
背後は高山、北は沼。人の通う道のない難所である。
一行はその手前の辻堂に忍び入った。

三月二十八日。

この時、源介がここに来ていて、その土橋の中程二間あまり切り落とし、小舟を用意して、勝弥の働きを待ち受けていた。

夜になり、里に帰る者が思いもよらず踏み外したり、また牛を引きながら落ちて声も立てずに沈む事も四、五度あったが、源介は身を縮めて隠れていた。


すでに虎の刻(午前四時頃)、勝弥たちは忍び返しに切り入り、笹葺の屋根に火をかけた。

「中井玄番が敵、同名、勝弥なるぞ。新五右衛門、出合え!」

と寝間口まで押し入り、敵にも覚悟させた上で討ち取った。
首入れの器も兼ねてから用意してあり、抜かりのない事である。

表門より立退けば、村人たちが松明を振りかざし、「逃すな」と叫びながら追ってくる。

これまで、と覚悟を決めた時、暗がりから
「勝弥、退路はこちらだ!」
と言う者がいた。

「誰だ」
と問えば
「源介を忘れたか。まずはこれへ」
と一行を舟に乗せ、川へ押し出した。

追っ手は切り落とされた橋に難儀し、数百人がどうしようもなく引き返して行った。


舟はその夜のうちに三里半逃れ、脇ノ浜という所に夜明け前に着いた。

お互いに姿を見合わせ、今こそ嬉しい涙をおさえて
「まことに昨夜は一大事の時にここまでおいで下さり、危ういところを助けていただきました。勝弥は幸せです」
と言う。

源介は笑って
「つまらない事を申す人だな。
三条河原で別れた朝より今日まで影になって、昼は世間の様子を見て、夜は外に用心をして来たのだ。
ある時そなたが、降りしきる雪に濡れ家来の者共、前後不覚に陥って息も絶えそうになった時、
人参をそなたの口に入れ、岩より落ちる雫を手で運んで飲ませ、肌を温めて正気付かせてやったら
“いかなるお方でしょうか?御看病ありがたく…”と申された時には、名乗ろうかと思ったけど、気がつかないのを幸いに
“通りすがりの者です”と言い捨てて陰に隠れて暫く様子を見ていたら
そなたは家来を勇気付け
“今のはまさしく、氏神の化身だ”と言ってその場を去って行った。
しかもその日は十二月九日。夜の道を拙者が先に立ち、里から離れた稲むらを抜き取り、所々に焚き火して道しるべとした事、思い当たりませんか」

と過ぎし十月より今日までの事を語り、
京の別れの際に残した包みを、封も切らずそのままに、勝弥へ返した。

この道理に感激し、舟の中の者は皆涙を流した。


「見送って下さい」
勝弥は源介に頼み、今こそ勇み足で帰国の途についた。
卯の花の盛りの頃、国へ帰り、敵討ちの次第を殿に申し上げた。
大殿、若殿はお喜びのあまり、源介を召し出し、三百両御加増、役なし(しばらく無役)を仰せつけられ、その上、勝弥まで賜った。
勝弥は源七と名を改め、まことの兄弟分となった。

これは前代未聞、若衆の鑑、こうでなくてはならない。





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お互いに刀を交換するとか、萌え要素ですよね
現代でも大事な物を交換したりしますもんね


しかし、後から“あの時はこうだった、こう助けてやった”、とか言うのって野暮でないですかね?源介さんよ
(というのが初めの感想でした

ずっと影になって付き添っていたとか、スゴイですケドね。
でも勝弥も殿’sも感激してるから、良いのか


あと気になっているのは、敵討ちを成し遂げた勝弥へは何かのご褒美があったか。
あ、最初の方に五百石の約束してるのか!


“まことの兄弟分”と言ってるところから、“衆道の”ではなく、ほんとの(養子縁組みたいな)関係になった、って事なのかな。
(弟が大好き過ぎて、なかなか嫁が来ない兄ちゃんになりそうだ