武道伝来記 巻五ノ三

『不断に心掛の早馬
        〜なげきの中に嶋臺(しまだい)出す事』


標語:挨拶はちゃんとしよう
相手に届かなきゃ、した事にはならない。

…というお話。(ちがいます)



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男は当世流、諸礼(礼儀作法)は昔風がよい。

佐渡国の大組頭・椿井民部が用あって早馬で番長筋を回った時、
綱島判右衛門という人とすれ違った。

民部は
「判右衛門殿、お許しくだされ。鎧(あぶみ)は外しました」と声を掛けた。


この挨拶が判右衛門に届いていなかったのは、どうにもならない事である。


民部の非礼と思い込んだ判右衛門は、しばらく思案して
「とにかく堪忍ならない」
と覚悟を決め、一門を集めて事の次第を語った。

皆はいろいろ意見を述べたが、老人役の久木が言うには
「民部ほどの侍が、よもや言葉も掛けずに馬上のまま通り過ぎるはずもない。
貴殿の耳に届かなかったという事もあろう。
民部は三千石、其の方は三百石、禄の軽い事を見下すような方でもないだろう。
ここはよく考えて判断すべきだ」

判右衛門は一通り意見を聞き届けた。

「もっとも民部に礼儀があったにせよ、こちらが聞いてないからには、仕方のない事だ。
この上は堪忍ならぬ」

(何ー故ー!?)


判右衛門は決心し、一門も納得した後、書状をしたため、民部に送った。

民部も潔く返事を書いた。
「鎧をはずし挨拶はしたけれど、今更言い訳は申さぬ。
明晩、長林寺の松原にて果し合いの御所存、承知致した」


この事が横目付・津田の耳に入り、殿に申し上げた。
殿は
「両人とも武士の義の立てようとするのは感心である。
民部は此の期に及んで言い訳をせず、一命を捨てようとする志しは殊勝であり、
判右衛門も、自分一人が堪忍して済むところを、身を捨てる覚悟の果し合いの申し入れる事は、これもまた武士の道理にかなっている。
元々恨みあっての事ではないのだから、今後は両人とも遺恨を差し挟まぬようにせよ」

大殿の仲裁を二人は有難くお受けし、屋敷に帰った。


ところが民部の方は妻子を連れ、その夜のうちに出奔してしまった。
佐渡を離れ、越後の寺泊という所へ着いた。


後から福井、安徳寺、伴の三人が追い掛けてくる。
「お暇を願い出ずに出奔されるとは、殿は以ての外のご立腹であられますぞ。
早々に帰宅され、改めて願い出るのがよい」

民部は少しも驚かず、剃髪した頭を見せた。

「このような次第なので、他に主に仕えるつもりではありません。断じてご上意であっても帰る事は出来ません」

取りつく島もなく、三人は佐渡に戻って御前に申し上げ、事はその通りに済んだ。



それより民部は江戸へ行き、浅草寺町近くに仮住まいをし、表に『椿井民部』と筆太に張り札をした。

仮住まいは菱垣とは名ばかりで、軒は雨漏りし月の光も差し込み、壁は蔦のみで嵐が吹き込む。
身を労らず世間も構わず、民部は心のままにその日暮らしをしていた。



秋の夜のあわれもひとしお、菊の霜枯れも近い頃、十一歳の一人娘が、琴の曲を特に好んでいたので、母はこれに合わせて流行の歌を歌い、余念なく見えていた。

この歌の最中に、女の声がして激しく板戸を叩き開けた。
そして女は抱いた子を差し出して
「しばらくこの子をお頼み申します。
只今、ご門前にて親の敵を討ちますから」
女は懐剣を抜いて駆けて行った。

民部が「それは!」と後を継いて出ようとするのを妻は押しとどめた。

「あなたのお命は武士の義理に預かったものではありませんか。
助太刀ならば、女には女が良いでしょう」

妻は薙刀の鞘を外して門前へ出た。


九月二十四日の夜。
月はほのかに明るく面影の見える相手は、たくましい男三人。
こちらはか弱い男と、角前髪の若衆と、女。
(3対3っすね)

その女が斬り結び、成る程静かに受け流す。
一命をここに捨てる覚悟である。

民部の妻は女に立ち添い、
「ここに私が助太刀致します。長刀には腕に覚えがありますよ」
と脇を払う有様は、摩利支天も恐れ給うだろう。

この掛け声に心強い後ろ盾を得たと、女は向かってくる男の脇腹を斬りつけ、弱ったところを畳み掛け、ついに討ち伏せた。

とどめを刺す時、誤って自分の腿を傷つけてしまったのを、妻が肩にかけ家の中へ連れ込んだ。

塀越しに見物していた民部が
「角前髪、裾を払え!」と命令したので、
若衆は勇気付けられ、踏み込んで斬りつけ飛び掛かって首を打った。

一人が逃げていくのを、もう一人の男が追いかけて、討ち止めた。


二人は傷を負っていたが、
「嬉しや、敵は残らず討ったぞ」と声を掛け合っている。
民部は二人を庭に入れ、落ち着かせてから、事情を尋ねた。

二人は礼を述べてから、男の方が語った。

「この度の首尾、ひとえに皆様のお陰です。
ことさらご内儀さまにの助太刀にて、願い通りにこの女の本望を遂げる事が出来ました。
この嬉しさ、御恩返しの出来ない程です」

と涙をこぼす。

「この女は信州松本の高倉庄左衛門という者の娘です。
私は大野笹右衛門と申しまして、同じ家中の者ですが、五年ほど前に庄左衛門の婿になり、この女と夫婦になりました。
その十日も経たぬうちに、岩谷と申す者と庄左衛門は口論となり、岩谷はその場で庄左衛門を討ち捨て出奔したのです。
舅の事ですが、他人事ではなく、殿からお暇を頂き、三年あまりの流浪の末、今宵の次第となりました。
本国への土産は岩谷の首です」

言葉に喜びを含み、心底を語る。

「この若年者は我が弟、笹之介と申します。
帰宅の際には、この者をお礼に差し向けましょう」

と互いに武士の礼儀を尽くした対応ぶりは、聞くにも頼もしい事である。


夜明けの出立ちを民部は門前まで見送った。

「この上ながら、なお無事にご帰国されるのをお祈りします。
さてこの度、女でさえ助太刀したのに、それがしが助太刀を遠慮したのは決して逃げたのではありません。
この訳は後日分かる事でしょう」

民部はこれを暇乞いの納めとして、三人と別れた。



さてさて。
佐渡に残っていた綱島判右衛門。
(体面上)国にいる事が我慢出来ず、お暇を願い出て、十三になる一子・判之丞と妻を連れ、江戸へ向かった。


そして民部を尋ね、互いに涙に沈んだ。

「されば武士の義理ほど、どうにもならない事はない。
お互い何の恨みもないが、最期は武士の体面ばかり恥じて、共に命を捨て、冥土の旅の友になろう。
今日限りの命なれば」

と浮世の名残の酒を酌み交わした。


二人の妻も混じって、故郷では顔も合わさなかったのを、思いもよらない事でお近づきになったと、昔を語り今を嘆いた。

今、相果てようとする二人(夫)の身の上より、一人の息子、また一人の娘の行く末が案じられ、なお哀しく思うのは、女親には仕方のない事である。

「判右衛門の一子判之丞に、娘のお松を娶せたい」
と民部の妻が申し出て、嘆きの中にも喜びの祝い盃事をし、後のことは家来に申しつけて、二人の妻は一緒に髪を落とし、夫の死より先立って出家の身となった。

この世に未練を残さぬ有様は、哀れでもあり、また殊勝さは限りない事である。


民部と判右衛門は「今は」と思い定めて、立派な死装束に改め、仏の浄土にゆかりある寺に頼み、その寺の庭で両人向かい合って、臨終の時を覚悟し左の手を組み合わせた。

「南無…」
と言う声を合図に斬りつけて、潔い最期を遂げた。

亡骸はそのまま一緒に同じ煙となり、後の世の手本となった。



大野笹右衛門はこの事を知らず、はるばる信濃より礼に尋ねて来て、この事を知り、ひどく嘆いた。

その亡骸を手厚く供養し、そして四人を伴い生国へ帰ると、二人の比丘尼は善光寺の片山に草案を結んで労った。

また判之丞は手元に引き取って、成人の後、武家奉公に出し客分として八百石を頂き、椿井主水と名乗る事となった。




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殿が仲裁して許されたのだから、いいんじゃね?……とならないのが武士!

しかも片方(椿井)出奔してしまってるし。
この場合残された方(綱島)が針のむしろだったのでしょうね。
殿が許しても世間が許さない。相手が江戸にいると分かっているのに討ちに行かない卑怯者、と言われてしまうようです。(解説より)
それほど体面が大事なのですね。

椿井民部も江戸の仮住まいの表に、『椿井民部』と大きく書いて貼るのですが、いつでも訪ねて来い、という事なのでしょう。



綱島判之丞が成人して椿井主水と苗字を変えたのは、椿井家の方が禄が高く、婿入りした、ような事なのでしょうかね?