武道伝来記 巻三の四
『初茸狩は恋草の種
〜義理の包物 心のほどくる事』
衆道度:★★★★★
衆道絡みの話としては人気ではないでしょうか?
ラストがとても好きです

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作州(岡山)・津島の城下に沼菅蔵人の子息・半之丞という少年は、美少の程に並ぶ者がなく、
《春は限りみちがき、桜を欺き、秋は月の満つるを隠くる》と、一目見れば想い悩む者が無いほどだった。
(とにかくすごい美少年だったのでしょう
)
)佐良山というところに初茸が露に濡れて沢山生えている。
侍たちはこれを狩して、お勤めの休暇を楽しんでいた。
霧の絶え間ない日、半之丞も若党をわずか連れて密かに出掛けて行き、途中、草の庵にて暫く休憩していた。
同家中に奉公を希望していた竹倉伴蔵も、片山団右衛門という男に誘われて初茸狩りに来ていた。
先より半之丞を見て恋い焦がれて跡を慕い、同じ庵に立ち寄ったが、掛ける言葉もなく佇んでいた。
半之丞は常々詩歌に心を寄せていて、この庵の僧と楓林の月というお題にて、発句に二、三返す。
その吟する声がしっとりと美しい。
伴蔵も兼ねてこの道(詩歌)を好む風流人であったので、このような推量は身分に関係ない「粗忽ながら」と即座に想いを込めて対句を綴った。
「これはこれは、勿体無いお心ざし。
どなたかは存じませんが」との返事をきっかけに、伴蔵は竹縁に上がって、お互い名乗りあったが、
心のうち(恋心)を汲まれるのも恥ずかしく、伴蔵は程よく挨拶だけして帰って行った。
しかしその翌日、伴蔵は堪り兼ねて、半之丞宅へ見舞い、折を窺って心底を語った。
半之丞は
「思ってくださるのは、この上もなく有難い事です。ですが私のような者にも構う人がいるのです、というのも変ですが。
しかしそれ程のご親切、私にはあまりに過分に思いますゆえ、せめては───」
と玉の盃を真意の無いように(気持ちは無いが、伴蔵に恥をかかせないよう心遣い)と差し出せば、
伴蔵は付け上がって
「ねんごろのお方はどなたです?」と問う。
「これは異な事を。このご質問はとても困ります。私の心ざしにその言葉は似合いません。
どう仰られても、これ以上は申しません」
と半之丞の念者を労わる心ざしの表れに、伴蔵も強く言い切る事も出来ず、しかし、
「一度聞いたからには聞かずにはいられません。
他に知っている者に聞きます」と帰って行った。
この事は簡単に聞き出せた。
その男は二丁目の能登屋藤内という名の町六方(町奴/男伊達・侠客)で、結構な侍でも、この男の部下にご機嫌をとる程の人徳であった。
もちろん身の上や財産には構わない心根の潔い男で、町人にしては殊勝である、と半之丞は思っていた。
同じ折、藤内の方でも半之丞の姿を見初めて、(半之丞の)お返事より先に一命を捧げると参らせた。
半之丞はそれを愛おしく思い、それから早や三年の間柄であった。
また竹倉伴蔵は加州の人で、これも水野なんちゃらの流れを汲む武道を磨いていた。
伴蔵は藤内を訪ねて行き、門外に呼び出すと、頭から刀の反りを返し、
「町人にしては腰が高い!土下座しろ!」と目を見開き、睨み付けた。
藤内はギョッとして「自分に対してこれ程物を言う者はいない。これは公儀(政府)の権威でもあるのか」と三つ指ついて窺った。
伴蔵は刀に手を掛けながら、
「聞けばおのれは、勿体無くも沼菅殿の御令息を兄弟分としている事、これは摩利支天も憎しと思っておられる。
なれど彼は姿をお見せにはならない。
私は今、弓矢八幡菩薩の神勅に任せてここに来た。
ことに今日、半之丞様のお姿を拝みたまわり、盃を頂き、今後必ず、桓武帝の末孫・竹倉半蔵平正澄がご後見つかまつる。
只今より、その方、彼の門外に足を運ぶ事を禁じる。
推参万全、言語道断、少しでも動けば、首と胴が離れるぞ。
さあ返事は!?」
と大通りに両剣を横たえる。白昼の往来には人だかりが出来てきた。
さすがの藤内もこの勢いに胸が轟き、雷の落ちたような心地がして震え、
「どのようにも思うようになさって下さい。私の命をどうぞお助けお頼み致します」と涙を浮かべた。
その姿は不憫この上なく、伴蔵は帰って行った。
これ程に名を馳せた男伊達であっても、町人ならば仕方がない。
「恨みは半之丞。あの男と盃まで交わした事、思えば許せない」
人に嘲られ生きる甲斐もない、と直ちに半之丞の屋敷に乗り込み、理由も言い終わらないうちに半之丞に脇差にて切り掛かった。
半之丞はひらりと飛びのき、
「それには訳があるのです。まず落ち着いて話を聞いて下さい」と止どめるが、藤内は聞き入れず、ひたすら打つ太刀に、半之丞は右の肩を負傷した。
この騒ぎに家老、家臣らが走り出て、二人を引き離し、藤内を微塵(!)に斬り砕く。
半之丞は深手に見えて、それぞれが肩に掛け、屋敷の中へ入った。
藤内の事は「無礼者ゆえ 打ち捨てにした」と奉行所へ断りを入れ、死骸は弟の藤八に引き渡して済ませた。
半之丞の傷は思ったより難儀し、九月十二、三日頃やっと回復の兆しが見えた。
「つくづく藤内のやった事はあまりに短気で、私を仕損じた時、傷を負っていなければ、家来の手に掛けて、むざむざと殺させなかったものを。
悔やんでも仕方のない事だけど」
「去年の明日の夜、密かにお主の部屋へ伴われて、自ら東の窓を開け簾を巻き上げ、しめやかに語り楽しみ、二人が交わした枕は傾く月の桂の他に知るものも無かった。
籬の菊の雫を受けては、不老不死の仙薬を求めても、二人の契りは永遠だと誓ったのに。
思いもしない浮き別れ。その言葉も早くも夢になってしまったよな。
貴方をお慕いする心の内も知らず、儚く亡くなった時には、さぞ私を恨みに思っただろう。
そうではないとはいえ、思い通りにならない浮き世に、竹倉伴蔵の憎い仕業とはいえ、まざまざとこうなってしまった。
死なば諸共と言える人を先に旅立たせてしまった、これはいかなる因果が巡って今の悲しみがあるのだろう。
思えば、兄分・藤内殿の敵は伴蔵。しまった、遅れを取った!逃さぬ!」
今だ傷も全快していないのに、半之丞は駆け出し、ふらふらと出ては転げて、正気ではない様子に、父親の蔵人を始め家臣達までが落ち着かせようとした。
この半之丞の心の内を知る者は、殊更憐れに涙を流した。
さて。
藤内の弟・藤八(16)は、兄がむざむざと討たれたのを無念に思い詰めていた。
「所詮、敵は半之丞。
年来の心底を翻した侍畜生め。今すぐ駆け込んで一太刀浴びせ恨みを晴らしたい。
今宵こそ忍び込もうか、いや仕損じては返って恥に恥を重ねる事になる。とにかく時節を窺おう」
と、こちらも常々死支度をして時を待っていた。
その年の十月十九日。
夜半に「沼菅半之丞、お見舞いに参った」という声がした。
藤八は「望むところだ」と身支度をして尋常に討ち果たそうと、まずは座敷に通した。
会うなり、半之丞は涙を流し、
「貴方にお目に掛かる事も面目ないのですが、
今まで命を永らえていたのは、これを貴方に渡したく思っていたからです」
下着の袖を引きちぎって包んだ物を藤八へ投げ出し、半之丞が前へ臥すように見えたのを抱き起こせば、鎧通し(短刀)を胸元に刺し込み、既に息絶えていた。
包みを開けてみると、竹倉伴蔵の首であった。
切り目には血がついておらず、どこかにて洗い清めて来たのかと、この半之丞の落ち着いた様に藤八は途方に暮れた。
「何事も前世の業によるものなのに、これ程まで潔い心根を知らず、今まで半之丞を恨んでいたが意味のない事だった。
これを種にして二人を弔おう」
と藤八は出家した。
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長かったー。
ザ・衆道の三角関係。
世間の評判は、三人それぞれ良いのです。
兄分の藤内は町人ながらも信頼厚く、武家からも一目置かれているようですし、
敵の伴蔵も武芸に秀でていて詩歌も愛する風流人。
それが恋に惑うと、こうも分別を無くすのです。
伴蔵なんて、八幡さまの命令だとか桓武天皇とか平正澄(誰!?)とか、もう何言ってんだか分からない。あーた何なの!?

二人より年下の半之丞くんが一番冷静で落ち着いていますね。
言い寄った伴蔵に兄分の事は決して言わず、やんわりとお断りし、さらに相手の恥にならないようにと心遣いもあります。(それが仇となってしまいましたが
)
)兄分の短気な振る舞いも責めません。それどころか気に掛けて後悔してて、よく出来たコです

時々藤内を呼び捨てにしてたり、「お主」と言っていたり、武家の子と町人、身分の違いみたいな雰囲気が感じられます。
あと突然のモノローグ。
「密かにお主に伴われ」とか「交わした枕を知る者はいない」とか、最初は秘密の恋だったのかしら
(現在は聞けば直ぐにお相手が知れてしまう程、周知のカップル)
(現在は聞けば直ぐにお相手が知れてしまう程、周知のカップル)妄想するとそれこそ萌え
なのですが、そのお相手は今はもう亡くなってると思うと、物悲しいです。
なのですが、そのお相手は今はもう亡くなってると思うと、物悲しいです。この半之丞、とにかく美少で本人もそれを分かっております。
初茸狩に人目を気にして編み笠を被って出かけますが、色香はダダ漏れなのです

人の目が気になって気疲れして草庵で休憩……といった所でしょうか。
めっちゃ見られてるよww

ラストの半之丞、包みを渡した瞬間に自決する潔さ、伝来記の中でも、とても好きなシーンでもあります。
藤内の弟くんは、さすが兄弟、一本気な性格のようですね。半之丞の最期の仕方に心打たれて出家の道を選びます。
藤八と半之丞、二人が斬り合う事にならなくて良かったとしみじみ思います。

