武道伝来記 巻三の三
『大蛇も世に有人が見た様(ためし)
〜しなへは当り眼(まなこ)の事』
衆道度:
カップルは出て来るのですが、私的な萌えはそれ程でも…

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予州(愛媛)の宇和島にて舟遊山をしていた時の事。
突然海上が振動し波が舟を揺り上げ、その水より少し下に五丈程の龍がうねり回る姿が現れた。
これを見た者は肝を潰し、
「夕べの夢見が悪かったから、来ないと言ったのに、女どもがそれでは約束の義理に欠けると言うから、このような怖い目に合う」と泣き出し、
着物を脱いで泳ぐ支度をする者、念仏を唱える者、祝言を挙げてまだ十日の女房を思って泣く者、など舟の上では慌てふためく。
その中に石目弾左衛門という者が舳先に立ち、大きな槍を上段に構え、
「正体の分からぬものよ、この太平の御代にあやしき姿、天晴れ」
と大声を上げ、畏れ多くも海上を睨み付ける。
不思議と大蛇は淡路の島の方へ行ったように見え、波がおさまり、皆は夢が覚めたような心地で命拾いし、舟を漕ぎ戻った。
その後、城下では弾左衛門の手柄が専ら評判となり、また成川専蔵、木村土左衛門が臆病であると
「臆病なる事、夕べの夢見、十日にならぬ祝言」と流行り言葉にまでなった。
ある五月雨の夜、井田素左衛門宅に若い衆三人が訪れていずれも長居していた。
素左衛門は念友・瀧之助(成川専蔵の子息)に「今宵はおいで」と呼んでいたので、素左衛門は長居する彼らを迷惑に思っていた。
そこに瀧之助が玄関まで訪れた。
中から「瀧之助の親、専蔵は舟遊山の時の不首尾、うんぬん……」とふと耳に入って足を止めた。
その場に佇み聞いていると「父親は侍の一分も立たず腰抜けだ」と中の座では大笑いしている。
『これは堪忍ならぬ。見事に討ち果たそうか。いや親仁の肩身の狭い事、恥の上の恥辱、ここは分別のところだ』
瀧之助は降り続く雨の中、濡れながら
『噂をしていた声は久米田新平、相手に不足はない』
我慢ならない所だが、瀧之助は歯を食いしばり帰って行った。
その後、素左衛門や久米田新平に会ったが、顔には出さず、やり過ごしていた。
その頃、太田鬼卜(きぼく)という丹石流の浪人を剣術の師として、家中皆々が弟子となり、一箇所に集まり稽古をしていた。
請太刀が久米田新平に当たった時、瀧之助は幸いと打太刀に名乗り出て、続けて二、三本打ち込んだ。
久米田新平は大人気なく「竹刀だからと言って、この生若輩め。瓜の蔓に茄子はならず(腰抜けの子は腰抜け)」と呟いた。
瀧之助は巧みに「これは妙な事、竹刀では証拠にならないとは、ならば真剣では拙者はこうもいかぬと思うのか。
誓って逃しはしません、良く覚えておいて下さい」
と言い捨てて帰っていった。
先の意趣をこれに巧みに替えた心底は武士の子ならではある。
その後、久米田新平へ果し状を付け、椿原にて日が暮れるのを覚悟を決めて待っていた。
その頃、久米田新平の懇ろにしている(念友の)弟分・冨坂弁四郎はこれを聞いて、ただ一人椿原へ来た。
五月の闇、あやめ知らず(見分けがつかず)、瀧之助は新平が来たと思い、
「瀧之助なり」と言葉を掛けたが、弁四郎は言葉をわざと交わさず新平に代わって切り結び、
互いに数カ所手負い、しばし佇むところへ、久米田新平がやって来た。
「瀧之助は何方に?」と言うのに驚いて、瀧之助は「人違いか」と思ううちに、弁四郎が「助太刀に参りました!」とまた切り掛かって来るのを、瀧之助が飛びのいて打つ太刀に、弁四郎の首が後ろへ落ちた。
すかさず久米田新平が抜き合わせる。
素左衛門が瀧之助の助太刀に来てみれば、
二人が打ち合う毎に鎬(しのぎ)より出る火は蛍のごとく飛び乱れる。
先より瀧之助は沢山の傷を負い、足元も堪り兼ねるところを、急に畳み掛けられ、木の根に躓き「しまった」と転ぶ瀧之助を素左衛門は受け止め、「素左衛門だ」と元気付け、今度は素左衛門が新平と斬り合う。
二打ち三打ち、「無念…」という声を残して素左衛門が切り倒さた。
瀧之助は弁四郎の遺体を枕にして息をついていたが、その声を聞き、力を落とした。
「口惜しくも二人ともここで討たれるとは本意ではない。何とかして新平を手に掛けて、本懐を遂げたい」と思うが五体満足にならない。
もはや太刀を打つ事も叶わない、と思案を巡らし、小声で「南無阿弥〜」と唱えた。
そして「誰か早く留めをさせ───」と小声で言うと、久米田新平は「さては勝負着いたか」と油断して近寄って来るのを、瀧之助は寝ながら横に切り払った。
新平が倒れるところを更に起き上がって首を打ち落とす。
瀧之助は「本望達したり」と嬉しいばかりであるが、次第に弱り果て、新平の骸に腰を掛け、(切腹しようと)脇差を腹に当てたが、切るまでの力は無く、
「何ぞと問いし白玉の……」
そのまま椿原の露と消えた。
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お父さんは?
この果し合いを知ったお父さんは、どんな気持ちになったのだろうか。
あ、あと、「人魚〜」の話と違って、この大蛇の後日談みたいな物が出てこないのも、さらに虚しい読後感の一因なのかなぁ。
瀧之助は相当な策士のようですね。
父親の悪口を言われたことに意趣を持っていたのに、剣術の稽古でわさと新平に喧嘩を仕掛けて果し合いにもって行く。
また最後も「とどめを…」と油断させて本懐を遂げる。
そんな瀧之助くんですが、
闇夜の決闘では、弁四郎を新平と間違えて斬り結んで、そこで大夫消費してしまいます。
結局念友の素左衛門を失って、更に切腹もままならないまま、椿原の露となってしまいました……。
新平の方も、稽古の喧嘩が原因と思っていて、本当の意趣は分からないまま斬られてしまってます。
そして駆けつけた弁四郎、素左衛門、……

なんだかどこもかしこも「むなしい」一言です

『白玉か 何ぞと人の問ひし時
露と答えて 消えなましものを』(伊勢物語)
こうしていろいろな話を見ていると、
意趣を念友に打ち明けるタイプの子と一人でなんとかしようとしてしまうタイプと、様々です。
もちろん私は打ち明けて協力しあって、最後はハッピーエンドの話が好きです

武士はどう死ぬか、に美徳があるのでしょうけども、
現代の感覚だと、死んだら意味ないじゃん??
どう生きるか、でしょ?───と思うのです。
なので一つ前の『按摩〜〜』が好きなのです

武道伝来記の巻三は衆道絡みの敵討話がメインになっているようです。
巻三のラストは、人気のアレです


