武道伝来記 巻三の一
『人差指が三百石が物
〜小道具売に替姿の事』
衆道度:★★★☆☆
後半は若衆の仇討ち話です。
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出羽の国庄内に、徳岡伊織(73)という者は、真面目に奉公に勤めていたが、それまで特に言う程の手柄もなく、三百石、馬、若党三人と世間並みに抱え、奢る事もなく、軽薄な事も言わない。
子も養子もなく一代限りの覚悟と、実直で昔気質の男であった。
ある時、早朝より家中の者が残らず大書院に集まり、大殿は唐獅子の間に安座あそばされ、近習の者たちがズラリと並び、一人一人召し出されて、御手からお菓子を給わる。
伊織もまかり出て、お菓子を頂戴した時、右の人差し指がない事を大殿がご覧になられた。
「指は?」とお尋ね申されたので、伊織は「若い時の過ちです」と申し上げた。
豊田隼人という大目付が
「伊織の指は、相州に仕えていた時に、同じ家中の鳥本権左衛門の留守宅へ夜盗が大勢忍び入り、財宝を奪い、その上老婆を刺し殺し裏道へ逃げた折、伊織が通り合わせ、二人捕らえて両脇に挟み、指を喰い千切られても離さずお縄にしたのです。
この時、伊織は十八歳でした」
と申し上げた。
「若くして良くやった!」
と大殿は即座に三百石のご加増を賜った。
伊織も老後の身に有り難がたい事と感謝した。
さて、いよいよ足腰も立たなくなり不自由なので、是非養子をと勧められ、人任せにお願いしていた。
家中の亀石仁左衛門の末子・仁七郎(16)は伊織の子にしても恥ずかしくなく、話もまとまって、伊織の養子となった。
山吹の色も深くなる花盛り(三月頃)。
岸の坊という眞言の寺に若者が集まり酒など楽しんでいた。
藤村佐太右衛門という男が
「最近の目新しい事と言えば、伊織の養子に仁七郎が行った事に限る。
この若衆(仁七郎)も念者に指を切ってやったそうだから、また三百石貰えるだろう。
十本切れば三千石。飯は人に食べさせて貰っても、俸禄になる指は切ろうか」
と大笑いした。
酔った勢いとは言え、人の身の上を嘲るとは、武士にあるまじき心底である。
これを聞いた仁七郎の念友(衆道の念者)・駒谷木工左衛門は我慢ならず、しかし折からの病後にて足取りも覚束なかった。
そこで回復するのを待ち、仁七郎にも知らせず、佐太右衛門に果し状を付けて、風松と言うところで果し合いをした。
佐太右衛門は、ここは逃げられぬと弟と示し合わせ、助太刀も四、五人付けて、木工左衛門と渡り合った。
(果し合いは一対一が原則なので、佐太〜は卑怯者なのです)
木工左衛門は随分良く戦ったが、病み上がりで勢いもなく、相手も大勢なので、ついに討たれてしまった。
それより佐太右衛門は逃亡し、丹後宮津に縁があり身を隠した。
仁七郎はこれを知り、敵の居所を知る手立てとして京の小道具売りとなり、小者(召使い)には小道具の品々を持たせ、自分は脇差一つに編笠を被り、敵の行き先を求めてあちこち見回った。
若衆の頃と思いを懸け、戯れられて、商品を値切らずに小者の言うままの値段で買ってくれる客は、下心も見えて面白い。
仁七郎も目的があるので、様々な難儀に遭っても
「これは皆、木工左衛門殿の為だ」
と何事も我慢して懸命に励んだ。
ようやく敵・佐太右衛門の居所を聞き出した。
この三月十七日、命日にあたる。この日に念願を果たそうと心に決めた。
ところで、宮津の家中に内海丹右衛門と言う男がいた。
佐太右衛門とは将棋の友であったが、助言が元で口論となった。
人の仲裁も聞かず、二人はこの夜に火葬場にて果し合いをする事にした。
それを仁七郎の小者が聞きつけ、仁七郎に伝えた。
「もしも佐太右衛門がその者に討たれてしまったならば、長年の大願が仇になってしまう。そうなっては無念だ」
と身支度する間も無く、刀を取って飛び出して行った。
朧月夜の道を駆けて葦の茂るのを踏み越えて、足を痛めてしまった。
そこへ内海丹右衛門が下人を大勢連れて、決死の目つきでやって来た。
仁七郎が立ち上がると、丹右衛門は「何者か!?」と咎める。
仁七郎は礼儀正しく挨拶をし、
「佐太右衛門は私の義兄の敵です。どうか私に討たせて下さい。あなたの方はその場限りの事ではないですか。それなのにその手に掛かって討たれてしまっては、無念です。
どうか頼みを聞き届けて下さい」
と手を下げて頼んだ。
しかし丹右衛門は、道理を弁えない武士であった。
「そっちの事は私の知らぬ事。
これから果し合いをする相手を此の期に及んで横取りしようとは無礼である」
と憎々しげに言うので、仁七郎も堪り兼ねて
「おのれ、侍だと思い言葉を尽くしお頼みしているのに。一命に掛けて逃がさん」
と討って掛かれば、丹右衛門は当惑して
「その義なら待て!」と言うが
「今更返事は遅い!死出の山で待ってろ」と
仁七郎は飛び掛かって首を落とし、家来供は追っ散らかした。
石塔の手向水で口をすすいでいるところへ
佐太右衛門が白衣に鉢巻、下人に長刀を持たせてやって来た。
仁七郎は名乗り出でて、しばらく凌ぎを削り切り結んだが、仁七郎が運に強く、丹右衛門の腰を斬りさげ、弱った所を畳み掛けて、首尾よくトドメを刺した。
その後、落ち着いてから、佐太右衛門、丹右衛門の二つの首を長刀にて小者に担がせて、本国への土産にして帰って行った。
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病上の兄分・木工左衛門さんと弟分・仁七郎くん。
きっと仁七郎くんは何度もお見舞いに行ったりして、回復するのを待ち焦がれていたと思います。
その兄分を討たれ、小道具売りに身をやつして、敵討ちの旅をします。
敵・佐太右衛門と丹右衛門の決闘の場まで駆けてく途中で転んで足を痛めてしまいますが、
これは、少年の塚(お墓)の周りに、お墓を猪や犬に荒らされないように竹の上の方を束ねて下は広げる仕掛けのようなもので、実用というよりは邪霊を防ぐ目的だったようです。
それに足を掛けてしまったのかな。
果し合いの場の火葬場は、墓地も兼ねていたので、周りには石塔などがありました。
ところで。
旅の途中、仁七郎くんはいろいろ言い寄られたりしたみたいですね。
仁七郎くんに気に入られようと、こちらの言い値で小道具を買ってくれるのを、うわべの笑顔で冷めた気持ちで眺めていたら面白いです。
いろいろ「難儀もあった」と言っておりますが、
そこらへん是非詳しく、詳しく……!!
佐太右衛門という人は口が災いするタイプの人。
仁七郎の事をバカにしたり、将棋についても余計な口出しして相手の手をバカにでもしたのでしょう。
仁七郎の頼みを理解しない丹右衛門も同じく、将棋程度の事で果し合いをするような武士の一分も理解しない男です。
伊織は昔の手柄を「若い時の過ち」と言って自慢する事もない男ですし、
仁七郎も木工左衛門への義理の、また自分への雪辱も晴らす意味(発端は任七郎への悪口)もある敵討ちを見事成し遂げました。
伊織の養子としても申し分ない武士という事、……らしいです。