8月 | ハナウタまじりの日々
今年も8月がやってきた。

と、思ったらあっという間に8月6日と9日を迎えてました。

毎年、この日は登校日でした。長崎県の全部の学校はこの日は登校日です。
高校生の頃は、暑いのいやだし、2回サボったかな。。8月9日の登校日。
でも、11:02の黙祷は忘れずにやってました。

そして、長崎を離れて大阪で学校にいったり仕事しているときも、黙祷のサイレンはならなくても黙祷はしていました。

今年は被爆者の祖父が他界したので、はじめて従姉と一緒に長崎で行われた平和記念式典に参加しました。

おじいちゃんの原爆体験談ってあまり詳しく教えてもらえなくて。
話したくなかったんだと思う。

爆心地のすぐ近くで被爆したおじいちゃん。
高校生だったけど、工場で働いていて2階でみんなで作業をしていたけど、たまたま地下に用事を頼まれて1人で地下にいったところ、運命の11:02。

ものすごい音がして、柱の影にかくれて。そして、階段をあがってみると数分前と全く違った世界が待っていたそうです。
おじいちゃん以外はみんな亡くなっていて。誰が誰だかわからない状態。

その後のことは、従姉が小学生の頃の夏休みに、一度だけおじいちゃんから聞いたことがあったみたいで。。。

そういうストーリーをパズルのピースみたいにしてはめていくことしか、わたしにはできません。

ただ、おじいちゃんの母親(わたしにとっては曾祖母)は、あの子は強いから絶対帰ってくると、信じて待っていたそうです。母親の直感ってすごいですね。。


おじいちゃんの人生は85歳で幕をとじました。
原爆を体験した人、戦争を体験した人がどんどんこの世を去っていってしまう。
あと10年もしたら、戦争の記憶がある人たちがいなくなってしまうんじゃないのかな。。
これからの日本が戦争や原爆体験をなかったことのようにしていきそうで、正直怖いです。

でも、わたしは被爆者3世だし、あの恐ろしい原爆体験をした血が流れているから、これから結婚して子どもができたとしたら、子どもやその孫に細々とでもおじいちゃんの体験を語り継いでいかないといけないと思っています。

祖先の色んな選択があって、今のわたしたちがいる。生きてるだけで奇跡。
毎年、この時期になると余計に思います。


原爆資料館にいくと、最後に長崎への投下の後にどれくらいの核実験が行われたかの映像をみました。だいたい10分くらいです。
そのとき、どこか海外から訪れていた人たちと、なんとなくタイミングが重なり、一緒に座ってみて、そして涙をながしました。無言の時間の共有。

二度と原子爆弾が使われてはいけないし、作ってもいけない。核実験もなおさら。
核兵器をつくる、保有する、核実験をする、これを続けることは、原子爆弾を投下しなくても被爆者を増やす事だと、わたしは思います。

原爆の後遺症で、ずっと病気と闘ってきていたおじいちゃん。
でも、うちの家族の中でいちばん生命力がぶっとく太かったおじいちゃん。

次はどうか平和な少年時代が過ごせる国と時代に生まれてきますように。