1月の読書会は

新年会がメインで

 

お手製のおせち料理を頂く会。

お料理上手な方が振る舞ってくれるという

ありがたい新年会。

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たくさんの品数!!ほぼ一人で作ってらっしゃる!

えびやぶりの焼物は炭で焼いてくれるこだわり❣️


 

 

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昨年度の新年会読書会でいただいた

白味噌の雑煮が美味しかったので

今年のお正月は白味噌のお雑煮を作ったけれど、

何か違って…

 

白味噌で味が決まる

とおっしゃっていたけれど、

 

話をしていくうちに野菜の下茹でなどの

手間がかかっていることが判明!

 

やはり手間がかかっているぶん、美味しいんだ。

 

今度やってみよう。

 

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さて、

『マチルダは小さな大天才』は

映画になった『チャーリーとチョコレート工場』の作者である、

ロアルド・ダールの作品である。

 

『マチルダは小さな大天才』も映画があるらしい。

(Netflixでしているようだ)

 

 

マチルダは天才少女。三歳になる前に字が読めるようになり、四歳で、有名な文学作品も読みこなす。ところが両親ときたら、そんな娘を「かさぶた」あつかい。「物知らず」だの「ばか」だのと、どなりちらしてばかり。学校にあがると、そこには巨大な女校長がいて、生徒をぎゅうぎゅう痛めつけている。横暴で高圧的な大人たちに頭脳で立ち向かうマチルダの、痛快仕返し物語。

 

 

子どもの頃って

「え〜大人ずるい」って

何でそう思っていたかはっきりは覚えていないけれど

(多分、子どもは早く寝なきゃいけないとか、テレビのチャンネル権のこととか)

 

子どもなりに子どもも一人の人なんだ、とか

思っていた記憶がある。

そのくせ、私の場合は、なんやかんやと、

「助けてドラえもん〜」並みに両親を頼っていたのに。

 

ちょっと都合がいい子どもだったかも。

そして、都合のいい子どもの私を受け入れてくれた両親の愛があったことを

こうやって書くことで振り返れる。

 

 

 

 

『マチルダは小さな大天才』は

いい大人も出てくるけれど、

悪い大人は強烈な悪者に描かれている。

 

そんな悪い大人をやっつけていくマチルダや子どもたち。

 

子どもが悪者をやっつけていく姿は

読者である子どもには痛快だろうな。

 

 

悪者は誇張されて描かれているから

おとぎ話のようでストーリーを楽しめるのとも思う。

 

 

現実の話のようだけれど、ファンタジー。

 

 

 

マチルダの両親も悪者として描かれている。

 

“世の中の母親や父親には、ひとつ、おかしなところがある。自分たちの子どもが、まったくどうしようもなく不愉快な子だったとしても、それでも彼らは、その子を、とてもいい子と思っているのだ。”(p9)

 

 

マチルダの両親はその反対で

“ときおり、こう言うのとは正反対の親にぶつかることもある。彼らは、自分の子どもに何の興味を示さない。こういう親は子どもべったりの親よりも、ずっとたちが悪い。”(p12)

 

“マチルダの両親はマチルダをかさぶたかなにかにしか思っていなかった。瘡蓋は、ある期間がまんすれば、つまんでとって、プッと吹きとばすことができる。ワームウッド夫妻は、彼らの小さな娘をつまみあげてプッと吹きとばす日を、大いに待ち望んでいた。”(p13)

 

 

 

読書会での感想は

マチルダの両親の描かれ方が

ハードで、子どもが読むにはどうなのだろうという意見もあったし、

 

 

子どもであっても

自分の持っている力で

物事を切り開いていくこともできる、

子どもに向けてのエールのようにも捉えられるという意見もあった。

 

 

どちらの意見もわかるなと思った。

 

 

結末はハッピーエンドでよかったと思う気持ちと、

少しモヤッとする気持ちがあったけれど、

 

 

私の中では、どの人にも愛情を届けてくれる人は周りにいると思っているので、

それに気づける力や受け取れる力(あと、声を上げる力)を上手に使えるといいなと思うのでした。