最近、

ふと

父のことを

思い出すことがある

 

 

 

 

父は2015年に84歳で他界した

 

 

 

 

 

父は

 

なんか我が道を行くと言うか

子供っぽいわけではないけれど

自分の好きなようにいく人

 

そんなイメージだった

 

 

 

昭和だから

テレビのチャンネル権は父だったし

 

 

休日は

家族で出かけるとか

何かするとかではなくて

父は出かけていく

 

「なんでおよそのおうちは

日曜日出かけるのに

うちは掃除なんよ〜」と

よく母に言っていた

 

(でも、記憶を辿ると

全く出かけてなかったわけではないものなのだ)

 

 

家族と喧嘩したら

父は「もうしらん!!」

って

言うのに

 

 

次の日は

普段通り

になる

 

 

 

引きずらない

というか

喧嘩した後に

家族の顔色を

伺ったりしない

 

 

だから

母は怒りを

引きずるけれど

子どもの私は(妹はどうだったかしらないけれど)

父と喧嘩した時は

引きずるのは

損な感じを持っていた

 

 

 

 

父方の伯母は

伯父と結婚する時に

父の存在を聞いてなかったらしい

 

 

8人きょうだいで

すでに

実家のある

鳥取から出ていたからなのか

はたまた…笑

 

 

「次郎さんがおること

聞いてなかったんよ〜」

 

 

 

そんなことある??

きょうだい多かったらそんなもん?

 

 

封印される所以が

父にあったのか?

 

 

心の中で思ってしまった。

(この話を伯母から聞いたのは

大人になってからだけど)

 

 

 

 

普段は

我が道を行く

寅さんみたいな父だけれど

 

 

大して

尊敬することもないなと

思っていた父だけれど

 

 

 

大学生の時に

自然とできるのが

すごいなと思った出来事があって

 

 

それは

 

 

背中の曲がった

私のおばあちゃん(父から見ると義母)が

バスから降りるときや

歩く時

自然に

手を差し伸べていた

 

 

母や私たちと出かけても

先にどんどん歩いていくような父だけれど

 

 

おばあちゃんの

腕を支えてあげてた

 

 

 

「ばあちゃん、つかまりんさい」

 

 

 

 

今考えると

意外と誰でもできることかも

しれないなとも思うけれど

 

 

パパのこと

これを見られたので

なんか十分やなと

思った

(当時大学生の私、なのに上から目線笑)

 

 

 

そうやって思い返すと

 

 

親戚の子(男の子)とか

ちょっとうちに遊びに来た

幼な子に

なぜか

なつかれる父

 

 

飼っていた

猫やインコも

なついていた

 

 

 

 

母方の親戚や

おばあちゃんが泊りがけで

遊びに来ても

父はマイペースで

 

でも

「ゆっくりしていきんさいね〜」

「またきんさいね〜」

サラッと言ってた

 

 

 

 

愛ある人だったのだな

 

そんなこと

生きてても

面と向かって言わないけどさ笑

 

 

 

 

 

なんで

これを書こうと思ったのか

わからない

 

 

 

だけど

なぜか

まとまりなく

書いてしまった

 

 

 

 

ひとつ言えることは

愛ある中に

私は存在してたし

私はそれを見せてもらっていた