先日、娘さんを16歳の若さで亡くされたお父様のブログを拝見しました。
突然の出来事で、娘さんの死が信じられない。どうしてこんなことになってしまったのか。娘さんの死には何か意味があるのだろうかと苦しんでいらっしゃる様子が綴られていました。
読んでいて、同じ親として胸が張りさける思いでした。
世の中には突然の出来事で、命を落とすこともある。
その死には何か意味があるのか。
考えて私なりに出した答え。
私は人の死自体に意味はなく、この世に生まれてきたこと。たとえ短くてもその生を全うすることに意味があると思います。
その方が娘さんを亡くされたのが今から10年前。10年後の娘さんの誕生日も娘さんへの変わらぬ愛情が綴られていました。
昨日は15年前、私の娘が生まれた日です。
15年前の2月9日午前2時頃、私たち家族の喜びとともに娘はこの世に誕生しました。
15年という月日は、過ぎてみればあっという間だったけど、娘の成長とともに数えきれない思いや悩みや喜びがあって。
母として人として未熟な私が、周りの人たちや何より娘に助けられながら歩んできた道。
子育ては自分育て。
娘によって、成長させられている、愛されている自分を実感しています。
その思いは、不思議なことに娘が不登校になってからの方が強いです。
こんな私の娘に生まれてきてくれてありがとう。
もっとお金持ちの綺麗な優しいお母さんのところに生まれてきたらよかったのかもしれない。
でも私を選んでたぶんやってきた。
それだけで、娘は一生分の親孝行をしている。
そんなことを考えた
娘のバースデイ
