こんにちは!副腎疲労(低血糖症)回復中の ここちゃんです。 

いつも有難うございます♪

ありがとぅ*.+゚嬉(๓´͈ ˘ `͈๓)嬉.*♡

 

今日は息子の話です。

 

 

 

息子は ここちゃんに似ず

しっかり者‼️で

ここちゃんみたいに 

うっかりミスもしない。

 

物覚えも小さい時から良くて

そこは 本当に私には似ていない。

 

 

大卒で就職後は 

勉強熱心で 上を目指し頑張っていたので

ちょっと心配だった。

 

上昇志向‼ なのは良いが

 

義父が亡くなり葬儀のため帰省していた時 

少し疲れているように

見えたのが気になったここちゃん。

スーパーで歩く後ろ姿を見ていて

歩き方がなんかおかしかった。

胃腸薬を持っていたし。

兆候はあったのでは。

 

 

そして

4年目で念願であったチェーン店の店長になったと同時に

 

今までは会社が借りたアパートでの共同生活

だったのが

ついに自分で家賃を払う一人暮らしになった。

 

 

 

 

息子の上司から突然連絡があった

2,014年の6月だった。

店長になって4か月経った頃

 

 

主人に 突然の電話がかかり
息子の上司からだった。


息子が突然仕事を休み、

仕事を辞めたい!

と言っているらしい。


様子がおかしいので

上司か連絡をしてくださったのだ。

突然のことでびっくりしたが

まさか?

うつ病は発作的に…
想像するだけでこわいガーン

夜中の高速を🚗飛ばして 

主人が息子の元へ飛んで行った。

私もすっ飛んで行きたかったが…💦

 いきたい−=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

 

義父が亡くなって

それ以来
毎日 実家に通い

義母の夕食を作って一緒に食べて帰っていた。

物忘れが酷い義母をひとりには出来なくて。
 

息子はしばらく休職させ

帰省させることになり
主人が翌日には息子を連れて帰った。 

 

その時の息子の様子は

ほとんど喋ることもできず…


トイレに行く以外は 🚽

ほとんど横になって寝ているという状態だった。


話を聞ける状態ではなかったので 
聞きたい事はぐっど堪え 
そおっとしておいた。

 

いつか話してくれると思っていたが

実は
未だに何があったのか喋ることはないし
聞けない…

 

人間は屑だ!! 

しゃべるようになった時

そう言った。

 

 

問題のある店舗に行くとは聞いていたが、

職場の人間関係で何かあったことだけは

確かだろう。

ほとんど休まずに働いていて過労もあったようだ。

 

 

息子がうつになった10年前は

うつ病は心の風邪と言うのが定着したころだった。

そう言われるようになったのは

2000年くらいかららしい。

 

うつは早期に病院へ行って治すというイメージが強くなった。

 

ここちゃんが30代の時は

うつ病についての情報が少なくて

めったに聞かなかったし

胃下垂で胃腸の機能が働かず食べられなくなっただけで

精神は病んでないと思ったし

治らない不安から一時的にノイローゼになったと思っていたが

今思うと

死にたいと思ったし

笑えなくなったし

寝れなくなったし

まさにあれはうつ状態だったのだと

今頃になって気がついたのだから 

びっくりだった。

ノイローゼと言う言葉 今は聞かないよね😆

(この話は過去記事を読んでね)

 

 

義姉に電話で息子の話をした時のこと。

 とりあえずまずは病院に連れて行くことになったが…

 

 

その前に

たまたま 

義姉さんに息子がうつになった事を

報告しておこうと電話をした。

 

すると

お義姉さんが意外な事を言い始めた。

 

「薬は飲まない方がいいよ」
だった。

 

義姉の部下がうつ病で休んでいたんだそう。

やっと復帰する事ができると聞いた矢先

 

復帰する目前で

薬の副作用で発作的に 

悲しい事に…


当時、義姉は息子のお嫁さんを

病で亡くしたばかりで

若い人の不幸はもう見たくないショボーンと言った

 


 

義姉のおかげで

医師まかせにせず、
ネットで検索して 

 

(主人は病気は心配しても仕方ない。

医者にお任せするというタイプ)

 


その時に出会ったのがうつみん先生の本のタイトルだった。

当時は読まなかったが

 

 

 

 

これは近年に読んで 大変にショックだった。

こんな悪徳な先生は

ほんの一部だと思う。

思いたい‼️ 

 

一生懸命に

向き合ってくださる先生も確かにおられる。

 

ただ、

医師は薬を出すことしか

治す方法を知らないから

 

医師が悪いのでは無い気もする。

 

カウンセリングさえしないで

依存度の高い薬をすぐに

出す先生が多いのは確か。

(うつ病の悪化時はカウンセリングさえ答えられないのも事実だが)

 

うつみ先生は

断薬する専門の先生

 

 

いかに

断薬が難しいか…

 

 

 

精神科へ初めて息子を連れて行きました。

息子が運転すら出来ないので 

私が運転して市外の病院へ連れて行った。


 


息子は運転中の会話もうるさいとかで 

ほとんど口も利かずに後部座席で寝ていた。


息子は待合席でも耳を手で塞ぎ
他人の会話がうるさくて我慢ができないらしく 

座ったまま伏せているくらい具合が悪かったようだ。

今考えると聴覚過敏だった

 

最初に問診表を書いて
先生の前に看護師さんと少しお話があったが
そのあと

診察室には私も同席した。

なぜなら思考停止の息子は質問に答えらえる状態ではなく うなずく程度。

副腎疲労を勉強してあとから思うに

それって ブレインフォグ

 

何が食べたい?と言っても

答えないし

思い浮かばないそうで 何でもいいと言う。


カルテにはうつ状態と書かれていました

会社を休むための診断書を書いてもらい
睡眠薬とスルピリド ベンズアミド系の定型 抗精神病薬

をもらって帰った。

 

このスルピリドは 胃潰瘍の薬としても

出されたりするらしく 

ここちゃんも昔

出されて飲んだ経験があるが

全く効かなかった。

(若い時の機能性ディスプペシアで胃薬と思っていたが飲んだ)

 

息子も全く効かなかった。

 

その後の診察では

依存性のある抗うつ薬を出された

義姉の言葉が無かったら飲ませていたと思う。

うつ病で心配なのは 

発作的に起こすあの行動…💦
副作用にそういうことがあるそうで。


先生に質問すると
「副作用でそういうこともあると聞いたのですが・・・」


先生は否定されず

「息子さんは大丈夫と思います」

とおっしゃった。


躁鬱タイプの人が治りかける時が

1番危ないという話を
ネットの情報を見て知り

息子は躁鬱ではなく

うつ状態だったからだろうが

大丈夫と言われても…

 

「できれば飲ませたくない」

と話すと
「社会復帰が遅れるだけですよ

と先生。


とりあえず

もらって帰ることにしたが

 抗うつ薬は飲ませなかった


睡眠薬は飲んだので
後で断薬は苦労したようで

飲んでいてもすっきり寝れないと言っていたように思う。

 


🔴注意してほしいこと🔴
現在服薬中の方は絶対に自己判断で薬を辞めないこと。

薬は飲みながら できる事がある。

先に副腎疲労体質(低血糖症)を改善するうちに少しずつ減らすのが良い

改善については

過去記事を参考に。

 

 

 ここちゃんの体験👇

 

 

 

 

そして当時

うつ病が炭水化物(糖質)の摂りすぎと言う内容の本を読んだ。

糖質制限の走りだった。

 

糖質(ごはん)を控えめに

タンパク質中心の食事を食べさせてしまったが…

治るにつれ 普通の食生活にしていて

一時的だったので問題はなかったようだ。

もし

厳密な糖質制限をしたら

悪化してしまう所だった。

 

 

現在息子は完治しておりますが
2年間でどうやって治ったのか

書いていきますね。

 


 

うつ病って他人事のように思っていた本人も 

私たち家族も‥‥
誰もがなりうる病気だと思うようになりました。

次回は その後どうやって治って行ったのか。
書いてみたいと思います。
 
 

読んで頂きありがとうございました😊💕