私は在米32年になりますが、
未だアメリカ市民ではなく、
巷ではグリーンカードと呼ばれる永住権を持っています。
昨日、陪審員の任務の通告書が届いたのですが、
市民だけが陪審員になることができます。
私はグリーンカードのコピーを書類に添付して
送り返せば、陪審員の公務からは逃れられます。
と言うか、やりたくてもできない。
これを毎年のように繰り返しています。
市民でないと選挙の投票もできないんですが、
先日は間違って投票番号まで送られてきました。
お役所仕事は適当です。(苦笑)
このグリーンカード、昔緑色だったので
この名称で呼ばれていて、
一時はグリーンでなくなり、
現在の私のカードもグリーンではないのですが、
去年から発行されている新しいカードは
またグリーンになったんですと。
私は永住権を獲得するまでに、
8年ほどの月日を費やしました。
優秀だという弁護士にもかなりの
お金を払いました。
ビザが取れなくて違法滞在をしていた時期も
2年ほどあって、その間は国外に出られず、
(出ることはできますが、帰ってこられない)
その間に確か兄や従姉妹の日本での結婚式を逃しました。
大学を卒業すると
プラクティカル・トレーニング・ビザと言って
1年間仕事をする資格が貰えるんですけど、
たまたまあたった移民局の役員が意地悪な人で、
「日本人はアメリカで働く必要はないだろう。
帰りなさい。」
みたいな事を言われ、貰えなかったんです。
信じられない話ですが本当です。
日本の経済が急上昇して、
アメリカがその力を恐れ始めていた頃です。
そのころの私の英語力はまだ乏しく、
反論して起訴して戦う、
みたいな精神力と知恵もなく、
泣き寝入りしました。
ビザがなくとも、若さと情熱と真面目さ(と才能?)で、
仕事をする道だけはちゃくちゃくと開けていきましたけど。
日本系の企業に入るのが
永住権を取れる一番の近道だったんですが、
その気は全くありませんでした。
私の性格は起業家だし、
せっかくアメリカにいるのに、
日本の会社で働きたくありませんでした。
プロポーズをしてくれた男性はいましたが、
結婚をして永住権をとるのもいやでした。
そんな借りを作ったらその人に縛られる、
永住権を取ってから結婚をしたい、と。
株式会社を始めて社員を雇えば取れる、
と弁護士に言われ、
父にお金を借りてデザイン会社も設立しました。
それでなければフリーでいてよかったんですけど。
株式会社にしたために、
払わなくてもいい税金を沢山払いました。
あの頃はよく働いたなぁ、、、。
仕事はどんどん入ってきましたから、
オフィースで徹夜して仕事をした事もしばしば。
でも、いつまで経っても永住権が取れなかったのです。
移民局が永住権のくじ引きを行った時も
申し込みましたが、当たりませんでした。
最後には仕方なく、
永住権のスポンサーになってもらうと言う条件で
電通の子会社のデザイン・ディレクターとして
入社する決心をしました。
後にも先にも企業の正社員になったのはその時だけです。
入社して数ヶ月もした頃でしょうか、
数年前に私が申し込んだくじ引きの、
なんと再選出があり、当たったという知らせが来たのです。
これも信じられないような話ですが本当です。
もう少し早かったら、
その会社に入社することもなかったのに。
申し訳ありませんが、すぐに退社しました。
やっとグリーンカードを手にした時は
嬉しかったですね。
長い道のりでしたから。
その後どうして市民権を取っていないか、
続きを書きますね。
未だアメリカ市民ではなく、
巷ではグリーンカードと呼ばれる永住権を持っています。
昨日、陪審員の任務の通告書が届いたのですが、
市民だけが陪審員になることができます。
私はグリーンカードのコピーを書類に添付して
送り返せば、陪審員の公務からは逃れられます。
と言うか、やりたくてもできない。
これを毎年のように繰り返しています。
市民でないと選挙の投票もできないんですが、
先日は間違って投票番号まで送られてきました。
お役所仕事は適当です。(苦笑)
このグリーンカード、昔緑色だったので
この名称で呼ばれていて、
一時はグリーンでなくなり、
現在の私のカードもグリーンではないのですが、
去年から発行されている新しいカードは
またグリーンになったんですと。
私は永住権を獲得するまでに、
8年ほどの月日を費やしました。
優秀だという弁護士にもかなりの
お金を払いました。
ビザが取れなくて違法滞在をしていた時期も
2年ほどあって、その間は国外に出られず、
(出ることはできますが、帰ってこられない)
その間に確か兄や従姉妹の日本での結婚式を逃しました。
大学を卒業すると
プラクティカル・トレーニング・ビザと言って
1年間仕事をする資格が貰えるんですけど、
たまたまあたった移民局の役員が意地悪な人で、
「日本人はアメリカで働く必要はないだろう。
帰りなさい。」
みたいな事を言われ、貰えなかったんです。
信じられない話ですが本当です。
日本の経済が急上昇して、
アメリカがその力を恐れ始めていた頃です。
そのころの私の英語力はまだ乏しく、
反論して起訴して戦う、
みたいな精神力と知恵もなく、
泣き寝入りしました。
ビザがなくとも、若さと情熱と真面目さ(と才能?)で、
仕事をする道だけはちゃくちゃくと開けていきましたけど。
日本系の企業に入るのが
永住権を取れる一番の近道だったんですが、
その気は全くありませんでした。
私の性格は起業家だし、
せっかくアメリカにいるのに、
日本の会社で働きたくありませんでした。
プロポーズをしてくれた男性はいましたが、
結婚をして永住権をとるのもいやでした。
そんな借りを作ったらその人に縛られる、
永住権を取ってから結婚をしたい、と。
株式会社を始めて社員を雇えば取れる、
と弁護士に言われ、
父にお金を借りてデザイン会社も設立しました。
それでなければフリーでいてよかったんですけど。
株式会社にしたために、
払わなくてもいい税金を沢山払いました。
あの頃はよく働いたなぁ、、、。
仕事はどんどん入ってきましたから、
オフィースで徹夜して仕事をした事もしばしば。
でも、いつまで経っても永住権が取れなかったのです。
移民局が永住権のくじ引きを行った時も
申し込みましたが、当たりませんでした。
最後には仕方なく、
永住権のスポンサーになってもらうと言う条件で
電通の子会社のデザイン・ディレクターとして
入社する決心をしました。
後にも先にも企業の正社員になったのはその時だけです。
入社して数ヶ月もした頃でしょうか、
数年前に私が申し込んだくじ引きの、
なんと再選出があり、当たったという知らせが来たのです。
これも信じられないような話ですが本当です。
もう少し早かったら、
その会社に入社することもなかったのに。
申し訳ありませんが、すぐに退社しました。
やっとグリーンカードを手にした時は
嬉しかったですね。
長い道のりでしたから。
その後どうして市民権を取っていないか、
続きを書きますね。



