のつづきです。
自分理想が高いってことが
悪いってことではなくて、
現実の自分と
理想自分を
いつも比較して、
あんたはダメねー
もっとできるでしょう
これくらいできるでしょう
こうあるべきでしょう
あ~でしょう、こうでしょう、
と、本当の自分の声を
想いを、感情を、
とことん、
拒絶、無視、否定
して、本当の自分を
穴蔵へ押し込めて蓋して、
理想の自分になったら
出してあげマース!
そしたら、
出してあげマース!
みたいなことしてたのが
大問題!だったんですよね。
結論先に言っちゃうと、
蓋したのも自分だし
出られないと思ったのも自分
なんですよね。
自分卑下するのも
自信がないのも
理想自分が高いだけですよ
それは、傲慢なんだよ
ってこと分かってね、
ただそれだけなのに、
自分理想が高い自分は傲慢
だから、バッテーン××
という項目を追加
みたいな(笑)
今まで、ずーっとこんな風に
いろんな項目を追加追加で
知識を詰め込めば詰め込むほどに
さらに、追加追加。
で、
多分、
今までは、穴蔵の中で
蓋が開けられない
出られない、えーんえーん
と泣いていたのが、
蓋を開けようと何度か
試みては諦めて、
また挑戦しては諦めてを
過去繰り返しながら、
とうとう、43歳な今、
本当の私が
プッツンブチギレ、
穴蔵から這い出してきた模様。
そもそも、蓋を開けようと
試みたっていっても、
その試みといったら
まぁおそ松くん!
思っただけ!とか、
誰かあけて~って
叫んだだけとか、
その場でジタバタ暴れただけとか
実際、蓋を開けるという行為は
しなかったんですよね。
そんな自分に気づきもしないで
わめいてばかり。
誰かに閉じ込められた!
誰も開けてくれない!
誰も何もしてくれない!
ってさ~
一人劇
「穴蔵に閉じ込められた私」
っていう、
自作自演の劇やってたみたい。
傲慢って、
自分自身を見下しているって
意味でもあるんだね。
最近、引っ込まなくなって
噴出しまくりだと書いた
我が儘奔放みっちゃん(私の中の私)
は、その記事書いた晩から
勢いをなくし(まだ出るけどね)
クソ真面目優等生みっちゃんも、
勢いを無くし(まだいるけどね)
他にもいっぱいいる
私の中の私たちがね
人格統合をしはじめた?
みたいな感覚です(笑)
わたしゃ多重人格か!
(欧米かっ!)
そもそも、我が儘奔放みっちゃんは
クソ真面目優等生みっちゃんが
逆ギレした姿だったかも。
私にばっかりクソ真面目な
嫌われ役押し付けやがって
もういい加減にして~!
って。
しかも、押し付けた張本人の
私自身が、
このクソ真面目みっちゃんを
大嫌い!と罵るという。
いやぁ、怖いですね~
あと、
自分を責めるのはやめようね~
と言いたいわけでもなくて、
まずは、
だめだめなところ、
醜いところ、
残酷なところ、
どろっどろなところ
は、とにもかくにも
気づかなきゃ始まらないと思います。
気づいて、責めるんでなく、
そんな自分をないことにするのでなく
なくそう、なくそうとするのでなく、
あるね
で?
ぐらいにして、
でも、開き直るのではなくて
じゃあどうしたいか?
どういう自分でありたいのか?
ただそれだけなんだね。
どういう自分であるかを選ぶのは
他人でもなく、教えでもなく、
自分自身
なのかなって。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。