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昨日、PCの前で
みんな大好きだーーー!!
と愛を叫んだら、思っていた以上にたくさん、たくさん
私も雪乃さんが好きだーーーーー!!
と言っていただけて、
「ああ、これで先生に”はーい、じゃあ好きな人と2人一組になってぇ〜”って言われても、怯えずに済むな(何の先生?)」
とか、
「病気になって入院しても5人ぐらいはお見舞いに来てくれるかもしれない」
とか、
「葬式はさすがに10人は行くでしょう」
とか、いろいろ安心したリーディングカウンセラーの雫石雪乃です。ふふ💓
やっぱり、まずは自分から本当の気持ちを吐き出すことが大切ですね。
みなさんの「好きです」というコメントを読んで行くうちに、金子みすゞの『こだまでしょうか?』という詩が頭に浮かんできました。
『こだまでしょうか』金子みすゞ
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
「好きだよ」っていうと
「好きだよ」っていう。
を加えたい(笑)
先日、2階で調べ物をしていたら、下で誰かが帰って来て何かしている音が聞こえました。
一段落したところで階段を下りて行くと、長男君が膝を押さえて何かをしています。
「どうした?何してるの?」
と声をかけたら、はじかれたように突然うわーーーーーん!と泣き出した長男君。
「今日ね・・・学習発表会の練習でね・・・・すごく上手に出来てね・・・
ヒック・・・ヒック・・・
みんなにもすごくウケてね。
上手だよって褒められたからね。
ヒック・・・・
嬉しくてね・・・・
ヒック・・・・
デデ(私)にね・・・・
ヒック・・・・
早く教えてあげようと思ってね・・・・
ヒック、ヒック・・・・
走って帰って来たらね・・・・
ヒック・・・・
転んじゃってね・・・・
足から血がいっぱい出たんだよ。
ウワーーーーーン」
目からは大粒の涙がいっぱい。
「そっか、そっかぁ。。
それは痛かったねぇ。
ほんとだ!いっぱい血が出てるねぇ。
これは痛いねぇ・・・。
おお、痛い、痛い、よしよし。
どうしてすぐにデデを呼ばなかったの?」
「だって、お仕事に行ってると思って
・・・ヒック
だから自分で絆創膏を貼ろうと思って・・・
ヒック、ヒック・・・・」
昔だったら、
「痛くない、痛くない。痛いの痛いの飛んでけ〜✨」
なんて言ったんでしょうけど、今のわたしはそうしません。
本人の感じている感情をひねくれないように、そのままにしてあげないと未消化になってしまうと分かっているから。
中途半端な悲しみや苦しみは、大人になるまでずっと心の傷として残るから。
だから、苦しそうな時は「苦しいね」
悲しそうな時は「悲しいよね」
嬉しい時は一緒に「嬉しいね」
って言ってあげたいと思っています。
だって、未消化のまま大きくなって、
なぜいつもどこか苦しいのか、
なぜいつもどこか悲しいのか、
そういうことが分からずに寂しさや閉塞感だけを抱えて、
モヤモヤしながら生きている人たちをたくさんみたんだもの。
悲しみの粒とか、寂しさの粒って、いつの間にか自然に昇華されるなんてことは絶対になくて、みんな抱えたまま生きて行くんだもの。
だったら、その悲しみが生まれた時に、
「泣いちゃダメ」
なんて、心の奥にぎゅっと押し込めてしまったり、
「痛くないよ」
なんて本当の感情をごまかしたりしないで、すぐに全部出してしまった方が良い。
いっぱい、いっぱい、悲しいよーとか、痛いよーって泣いてしまった方がいいと思うのです。
そうしたら、大人になった時、ずっとずーーーと楽になる。
生きて行くことに素直になれる。
今回、私と同じようにこじれまくってる(結婚式に誰も来てくれないに違いないとか、そもそも誰もわたしと結婚してくれないとか)方達が多いということが知れたので、その原因について考えてみました。
私の場合。
結婚式などのおめでたいことがあると、主に祖母が
「またお祝い包まなきゃいけない。金がなくなるからヤだわ」
みたいなことをぼやくのをいつも聞いていました。
結婚式の当日も、「面倒くさい」とか「行きたくない」とか「引き出物がしょぼい」とか、そんなぼやきばかり。
本人にとってはとても喜ばしくて、嬉しいことなのに、どんなに嬉しいことでも本人以外の人にはこんな風に嫌がられるんだなーって、幼い頃の私は思ったのだと思います。
その人のことは喜んでもらえないけど、私は喜んでもらえるかもしれない、とは思わなかった(思えなかった)のですね。
それが、こじれにこじれて
「ああ、私にめでたいことが起こったとしても、誰も喜ばないし、入院しても”ああ、お見舞い持って行かないと。金がないのに面倒くせー”って思われるに違いない」
という思考になったのだと思います。
でもね。
ここで勘違いしないで欲しいのは、
「じゃあ、環境が悪いんじゃん。自分がこうなったのは親のせいじゃん」
とは私は思っていないということ。
先日、生まれた瞬間に男の子じゃなくてガッカリされたことがトラウマになっていたクライアントさんのことを書きましたが、同じようにお腹の中にいる時に父親が
「そんな子は堕ろしてしまえ!!」
と怒鳴った声が聞こえて、体が硬直した感じまで思い出したというクライアントさん(このクライアントさんの話はまだ私の中で未消化で書けてません。Sさんゴメンナサイ💦💦💦)もいました。
その時の悲しみがいつまでもいつまでも自分にまとわりついていると。
それでもやっぱり私は、親のせいではないと言いたいのです。
だって、どんなに氣を使って、どんなに愛情をかけて育てても、こちらが思いも寄らないことで子どもはトラウマを抱えます。
何度も書いていますが、どんなに良い親に育てられても
「私は両親のように良い人にはなれない」
「お母さんのように自分のことを全部犠牲にして子どもに尽くすことなんて出来ない」
などと、良い両親に育てられたことでさえもトラウマになるのです。
人生はそのトラウマを出来るだけ早く克服して、自分に還るゲームです。
育った環境がどうのとか、親がどうのとかではなく、
そんなことを言っていじけている暇があったら、
なにがなんでもそのトラウマを克服して自分らしい幸せをいち早く掴んだ方が良い。
自分で作ったトラウマを死ぬまでにいくつ克服出来るかを楽しんだ方が良い。
だって、克服した後の喜びは大きいから。
その喜びを知るために生まれて来たと言っても過言ではないと思うのです。
でも、もし子どもが抱えるトラウマを少しでも少なくしてあげようと思うなら、褒めるより、たくさん一緒に喜んであげることが良いのではないかな?と思います。
もし、子どもがテストで100点を取って来たら
「良かったね〜。頑張ったね〜」
じゃなくて、
「100点嬉しい?そうなんだ〜。良かったね〜。嬉しいね〜」
という風に。
褒めたら、褒められるために頑張ってしまうから。
頑張っても頑張らなくても、君が幸せだったらおかあさんも幸せだよ。
それを伝えてあげるのが良いんじゃないかと思う。
そしたら、幸せで在ることを喜べる人になるから。
幸せは誰かに面倒くさいとか、あいつばっかりって思われるようなことだなんていう発想すら生まれないだろうから。
誰かが幸せだったら、一緒に幸せを味わってあげる。
誰かが嬉しそうだったら、一緒に嬉しさを味わってあげる。
幸せなのは良いことなのだと、繰り返し繰り返し、ちゃんと細胞に刻み込んであげたい。
子どもの細胞にも。
私の細胞にも。
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