人は気遣いながら生きている | 裏庭のないしょ話

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心の中のこと

先日、「氣」という言葉のお話をちらっと書いたら意外にも食いついてくださった方が何人かいたので、がっつりディープな「氣」のお話をちょこちょこ挟んで行こうかと思います。

動物も人間も植物もすべては「氣」というエネルギーで出来ているというお話は先日書きました。

今日は、その「氣」というエネルギーを人はどのように使って生活しているかを「人間関係」という点から書こうと思います。

人というのはお互いを「気遣い」ながら生きています。
そう。
人というのは人間関係において、お互いが持っている「氣」というエネルギーを上手くやりとりしながら生きているのです。

一般的に人間のエネルギーフィールドは両手を伸ばしたぐらいと言われていますから、氣のやりとりをイメージにするとこんな感じ↓笑



この絵のせいでむしろ分かりにくくなったでしょうか(笑)

相手に差し出す「氣」の分量がお互いに同じだと、人はその人との関係を「居心地がいい」と感じます。
これがいわゆる「氣の(分量の)合う仲間」という状態です。

逆にどちらかが多すぎたり、少なすぎたりすると「氣」を使いすぎたり、「氣」をとられすぎたりして疲れてしまうのです。
異性に「氣」を奪われるのは、喜んで差し出しているので疲れませんが(笑)

人との付き合いが上手な人というのは、相手にあわせて自分が差し出す「氣」の分量をうまく調節できているのではないかな、と思います。

でも、稀に

「いやいや、あいつは人に氣なんか使ってない」

っていう人もいますよね?
それにも実は訳があります。

そういう人もあなたには気を使っていなくても、必ず他の誰かには気を使っているのです。

この「氣」というエネルギーのやり取りの仕組みに関しては

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こちらの本に詳しく書かれていますが、この本の中の言葉を借りながら説明させてもらうと、人というのはだれでも少なからず「脅迫者・尋問者・傍観者・被害者」というドラマの配役のどれかを演じながら暮らしています。

「脅迫者」は、言葉や暴力で相手の注意を引き、相手のエネルギーを奪います。

「尋問者」は、尋問して相手を批判します。尋問されるほうとすれば、尋問されるのはたまったものではありませんから、相手に尋問されないように相手に批判されないよう「氣を使い」ます。

「傍観者」は、自分の殻に閉じこもることで自分をミステリアスに見せ、「この人のことをもっと知りたい」と思わせることで、相手の「氣を引き」ます。

「被害者」は、自分に起きた酷いことを話し、相手にも責任があるように匂わせて、可哀想な自分に対して「氣を向けさせる」ことによって、相手のエネルギーを奪います。

あなたはどのタイプでしょう?

この関係がお互いにどのように作用しているかは、長くなりそうなのでまた今度

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