すっぽん小町


曇り空の寒いなか、親戚のご葬儀に出かけました。

88歳で米寿をお祝いしたあとの大往生です。


故人はさる寺院のご住職でした。

大きな山門の入り口には「山主往生」と江戸時代の御触書のような巨大な立て札が掲げられ、家紋を染め抜いた法被を着たたくさんの檀家の方々が広い駐車場の入り口で会葬者の車を誘導されていて、一般的なご葬儀とは違う物々しい雰囲気です。





葬儀は墨染の衣から鳳凰や植物が織り出された美しい金蘭の袈裟をお召しになり、「誌公帽子(しこうもうす)」被られた僧侶ありと総勢50人を超す僧侶の方々が集まり、たいそう煌びやかで立派なものでした。

導師さまは鎌倉の有名寺院の法主です。

最も煌びやかな金蘭の袈裟をまとわれ、頭には舟形のような「水冠」と呼ばれる帽子を被り、払子(ほっす)を手に威厳のある佇まいで法要が営まれました。

 



50人を超す僧侶の方々の、朗々と歌うような読経が本堂に美しく響き渡り、声明(しょうみょう)と言われるようにさながらグレゴリアン聖歌を思わせるような神秘的なものでした。

故人の偉業に相応しい、たいへん心に残るご葬儀でした。


お別れは誰であっても悲しいものですが、ご葬儀とは遺族が悲しみに一区切りをつける役割もあり、やはり大切なものなのだと改めて思いました。

だんだんと親を見送る世代になり、やがてはやってくる自分の順番についてはなるべく子どもたちの負担にならないようにしたいので、私は自分の葬儀は不要だと思っていましたが、要不要についてはどう考えたらいいのかいささか微妙になりました。



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