「家族という単位について考える」というブログを書いた後、

私の家族に対する感情をじっくり感じてみた。

 

ある意味、敵対関係にある兄に対しては、

子供のころ、本当に大好きだったこと、

兄は私にあまり反応してくれず、

気を引きたくて物を隠したり意地悪をしたこと、

小学校低学年の時、

兄の誕生日にお小遣いをためて、筆箱をプレゼントしたのに、

私の誕生日は無視されたことをきっかけに

兄に対して無関心になったこと

 

好きなのに無関心でいられることへの感情を感じ尽くしたら

じわ~っと何かが温かくなった。

 

子供たちに対しても、愛を注いで傷つきたくない気持ちがあった。

だから、わざと、ちょっと離れたスタンスでいたこと。

その「傷つきたくない」をちゃんと認めてあげると、

ダイレクトに子供たちへの愛が溢れて涙も溢れた。

 

そんな時、「家族は愛を学ぶ最高のチーム」という言葉が浮かんだ。

 

幼いころ、私は鎖に繋がれた牢屋にいるような感覚だった。

子供に愛情たっぷり注げるママ友や、

お母さんが大好きという友人に対して、

 

自分にはない、宝物を持っているような羨望と、

大事に想える親がいて、大事にしてくれる親がいる人への嫉妬。

そして、親孝行をしたくない、できない自分への劣等感…。

 

自分は、誰に比べて劣っている(又は勝ってる)と感じているのは、

他人が主体になっており、まずは軸を自分に戻すこと。

自分の思考癖が分かるようになれば、気付きも早い。

あ、また軸が他人に移動していると、すぐに戻すことができる。

 

そして、家族というのは、

(宇宙からみると良いも悪いもないのだけど)

ネガティブなことも、ポジティブなことも、諸々あっての

愛を学び合う、最高のチームなんだということ。

 

理解することと、腑に落とすことはちょっと違うのが今回わかった。

理屈(理論)を学ぶのはもちろん大切だと思う。(基礎は大事)

ただ、理屈では理解していたことも、腑に落ちる感覚があって、

初めて視野が変化するというか、世の中の見え方が変わった感があり、

 

そういうことなのか。にっこり

 

と、いう今。