みなさん、こんにちは

 

satomiです

 

1つ前の記事の続きです

(お食事中の方は後で読んで下さい)

 

長くなるので先に結論を書きます

「私は私が可哀そうと思って否定をやめました」

 

若い頃 過食症になりました

お腹がいっぱいで「もういらない」と思っても

泣きながらでも食べることもあったり

毎日のように過食嘔吐してました

そのうち嘔吐の量もコントロールできるので体重に合わせて調整したりもしてたな

 

若い私は何とかしなくては・・・と思うようになります

 

ネットもないしね情報がない

 

とりあえず初めて精神科に行きました、心療内科なんて無かったような・・・

行くまでには葛藤もありました、だって当時は頭がおかしくなった人が行くところと

思っていて今より偏見もありますから

行きにくい、けど何とかしたい

結構勇気が必要でした

 

3回行ったかな

2回目が終わった時に「何のアドバイスもなく、だたそうなのね~~そうなのね~」

と優しく聞いてくれるだけ「こんなんで治るのか?」と

 

私は治したかったのでアドバイスが欲しかったのです

3回目もどうように共感しかしない「否定しない法則か、これは通っても治らない」

と思い何も解決せず不満だけが残り

病院のカウンセリングって無駄だなと思ったのです

 

1年か2年が過ぎた頃、婦人科に「心療内科」というのができたのを知り

治せるのかもと思い行ってみました

 

婦人科でお世話になっている先生で優しい先生、臨床心理士ももっていて

勇気を出して話ました

何回か通っているうち、同様に通う摂食障害の子たちが集まる日があったりもしました

ここでも同じ「こんなことしてても治らない」と思いました

 

その間も過食嘔吐を繰り返す自分に

「またやってしまった」「早く治さないと」「こんなんの続けてたらダメだ」

この言葉を毎日連呼です

「まただ、まただ、止めなくちゃ、やってしまった、治らない><」

 

ここで思うのです(閃きってやつ)

一応一般的な解決策である病院にも助けを求めた

自分なりに出来ることはやった

 

「ただでさえ苦しいのに、もうこれ以上自分を責めて罪悪感をもたせて

私が可哀そうだ!自分で自分を責めて私がかわいそう!」

と思ったのです

 

過食症を止めたい、治したい

 

という想い(望み)は持ちつつも

自分責めをやめました、責めた自分に気づいたら「そのうちやめれたらいいね」

と声をかけ

「食べたい、食べたい」と思い食料を買って食べようとする自分に

「食べたらダメ」とは思わず「いいよ、そのうちやめれたらいいね」「そのうち治る日がくるよ」

と言ってあげました

勿論我慢できそうな時は我慢してみたり

 

そうこうしているうちに回数はどんどん減り

私は妊娠をきっかに止めることができました、吐く時にお腹の子に負担がかかるので。

けれど今は宇宙の法則を知っているので分かります

私は最終のきっかけが妊娠でしたが

妊娠でも止めれない方は他にきっかけが出てきたり自然に治っていたりします

 

・望みを出したこと(治したい、そのうち治る)

・絶対やめないとと自分を追い込んだり責めなかったこと(望みに執着しない、エネルギーを緩める)

※やめないとやめないと と追い込むのはパラドックスで「やめられない私」を作り出します

 

この頃はまだ宇宙の法則なんて知らず

 

昨日の記事で書いた言葉に出会って

それが意識に入っていたので閃いたのでしょうね

 

自分の味方でいること。自分に厳しすぎる時には優しくしてあげる事です

だって友達が目の前で悩んでいて止めれなくて苦しんでいる時に

「あなた、またやったの!ダメな人ね」と直接言いますか?

 

 

このやり方の変化球で煙草もやめました

禁煙成功

 

自分を責めて追い詰めてもいいことありません^^

 

ただ例外もいます、ハングリー精神の強い方

追い詰めた方が燃えるタイプもいますよね