たがちえ断捨離®日記
やましたひでこ公認
”たがちえ”こと、田川千恵です。
さてさて。昨日、私がやっている石の浄化の方法を
つらつら書いてみたのですが。
自分のやり方に疑問を持ったところで終わりました。
ブログを書き終えて、瞑想しに行ったのです。
その場で、合氣道のお話しが出ました。
イシのハナシ。合氣道で浄化する。
私のパワーストーン浄化方法は、
両掌で包み込むように石を持ち、
正中線に氣を通して、邪気を抜くやり方でした。
でもそれって、
「私がこの石を浄化してやるぞ!」
という力みが入るんじゃないか・・・
という疑念が生じました。
力みが入るということは、波動が乱れるということでは?
「自分がやってやる!」という力みは
上手く利用すれば行動を起こす推進力になるけど、
浄化に使うには危険かもしれない。
承認欲求などの、基本的な欲求と結びつくと
浄化にならず、変なものが入るのでは?
そんなことをつらつら考えていると、
「合氣道」が話題に上がりました。
指一本を相手に当てて、相手と氣を合わせれば
スッと相手の力を抜くことができる。
そんなお話しです。
あれ?それって、YouTubeで見たことあるぞ!
探すと、見つかりました。
天龍寺マコト先生が、「ゆにわ」のみなさんと大笑いされているビデオです。
投げられてるのに、笑いが止まらない。
合氣道って、すごいなぁ。いいなぁ。
「合氣」とは、相対する人と丹田を合わせること。
そうすると、自他が消えると。
合氣道は、相手との関係性が重要と。
うわぁ。合氣道、すごいな。(二度目)
そうか!なるほど。
パワーストーンの浄化も、合氣道でやればいいよね。
手のひらに石を乗せて、石と自分の境界線を消す。(イメージでOK)
石と自分の自他を消した状態で、
氣を通す、とか
チャクラを通す、とか
瞑想する、とか
自分に合う方法で、「無」になる。
自他が消えているので、
「無」になることが出来れば
手のひらの石も「無」になる。
この時、私が思う「無」とは、
陰陽どちらにも傾かない「中庸」の状態。凪のことです。
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となり。
エネルギーがブランコのように揺れて揺れて、
次第に揺れが小さくなり、ピタッと止まる。
そこが「無」
そこに居るときは、「感情」は雲のよう。
大地に寝っ転がって、空に流れる雲をボーっと眺めているような。
自分と雲の間には、大きな距離があって、
存在は認識すれど、外の世界の出来事として眺めるだけ。
石を手に、その状態にしばらく入っていたら。
あらあら。石の透明度が上がったのじゃないかしら?
うん。これから石の浄化方法は、こちらのやり方で。
ここで書いている「浄化」は、あくまで「自分比」「自分調べ」です。
すっきりした~。気持ちいい~。不調がとれた~。明るくなった~。
良いことがおこった~。etc.etc...
自分がそう感じられればOKと^^
せっかくお迎えした、石。
末永く仲良くできたらいいな。
そうそう、石を置く場所は、石の舞台と心得て。
断捨離で調えた場所に置くと、
自分自身も気持ちがいいです。
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【clubhouse読み解き会】
かずよトレーナーとの
ゆっくりコンビです。
身につける
『捨てる』より
・・・情報取りすぎると波動が不安定になっちゃう・・・
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