浄書、浄書♪♪
休み前にみて頂いた曲の三部合唱編を再度、お清書(浄書)しました。
長いのと三部なので、そして目が悪いのと要領が悪いのが重なって、結構時間がかかり、2日かけてやっと終わりました。
消しゴムを使う回数が多過ぎて、よけい時間がかかったようです。
インクで書けるほどの集中力を身に付けたいです。
そして師匠のように美しい楽譜をささっと書けるようになりたいです。
長いのと三部なので、そして目が悪いのと要領が悪いのが重なって、結構時間がかかり、2日かけてやっと終わりました。
消しゴムを使う回数が多過ぎて、よけい時間がかかったようです。
インクで書けるほどの集中力を身に付けたいです。
そして師匠のように美しい楽譜をささっと書けるようになりたいです。
ザルツブルクの旅
今年の夏休みは、オペラのツアーに参加して初めてザルツブルクとヴェローナに行った。
ザルツブルク音楽祭は、さすがに華やかで、どの演目も素晴らしかった。
でも、ザルツブルクで興奮したのは、モーツァルトが生まれ、幼児期を過ごした家(モーツァルト・ゲブルトハウス)と青年期を過ごした家(モーツァルト・ボーンハウス)。今は共に記念館になっていてモーツァルトが弾いたピアノや自筆譜や数々の旅の地図等が展示されていた。
中でも自筆譜の美しさに感動した。
早書きなのにきれいに揃っていてその美しさに見惚れて、長い時間釘付けになった。
溢れでるメロディーを大急ぎで書きとめるのはさぞもどかしく感じたことであろう。脳の中に鳴り響く音楽を自動的にコンピューターに移すことができたら、もっと沢山の曲をかいたかも。
姉のナンネルも作曲してたという。(それもモーツァルトよりずっと才能があったが、モーツァルトを目立たせるために父がすぺて捨ててしまい一枚も残っていないという話もあるとか) 是非聴きたかった。
旅した地図を見て、その一部をバスで移動したが、こんな距離を馬車で移動なんて気が遠くなる。小さな子供には過酷過ぎる。
同じ年頃の子供と遊ばせてあげて欲しかったな。
展示物の中にアリア(小羊のなんとか・・・)の自筆譜があり 、ガイドフォンでソプラノの歌声が流れていた。その美しさは天上のもののようだった。
楽譜を手に入れて歌ってみたい。
翌日、聖ペーター教会でモーツァルトの“C moll ミサ”を聴いた。これも美しく心に響いた。
サウンドミュージックの舞台となった山に行って、何か曲が浮かぶことを夢見たが、その山麓には行けず、観光は忙しすぎて、何か浮かぶどころでなく、かなりがっかりした。出発前に、作曲の師匠に山の詩をリクエストして、けげんそうな顔をされた意味がわかった。
子供の頃からあこかれたサウンド・オブ・ミュージックの旅の夢が崩れ、終わった感じ。
今日から日本の山を想って暮らそう・・・・・
ザルツブルク音楽祭は、さすがに華やかで、どの演目も素晴らしかった。
でも、ザルツブルクで興奮したのは、モーツァルトが生まれ、幼児期を過ごした家(モーツァルト・ゲブルトハウス)と青年期を過ごした家(モーツァルト・ボーンハウス)。今は共に記念館になっていてモーツァルトが弾いたピアノや自筆譜や数々の旅の地図等が展示されていた。
中でも自筆譜の美しさに感動した。
早書きなのにきれいに揃っていてその美しさに見惚れて、長い時間釘付けになった。
溢れでるメロディーを大急ぎで書きとめるのはさぞもどかしく感じたことであろう。脳の中に鳴り響く音楽を自動的にコンピューターに移すことができたら、もっと沢山の曲をかいたかも。
姉のナンネルも作曲してたという。(それもモーツァルトよりずっと才能があったが、モーツァルトを目立たせるために父がすぺて捨ててしまい一枚も残っていないという話もあるとか) 是非聴きたかった。
旅した地図を見て、その一部をバスで移動したが、こんな距離を馬車で移動なんて気が遠くなる。小さな子供には過酷過ぎる。
同じ年頃の子供と遊ばせてあげて欲しかったな。
展示物の中にアリア(小羊のなんとか・・・)の自筆譜があり 、ガイドフォンでソプラノの歌声が流れていた。その美しさは天上のもののようだった。
楽譜を手に入れて歌ってみたい。
翌日、聖ペーター教会でモーツァルトの“C moll ミサ”を聴いた。これも美しく心に響いた。
サウンドミュージックの舞台となった山に行って、何か曲が浮かぶことを夢見たが、その山麓には行けず、観光は忙しすぎて、何か浮かぶどころでなく、かなりがっかりした。出発前に、作曲の師匠に山の詩をリクエストして、けげんそうな顔をされた意味がわかった。
子供の頃からあこかれたサウンド・オブ・ミュージックの旅の夢が崩れ、終わった感じ。
今日から日本の山を想って暮らそう・・・・・