こんにちは、ココです。
久しぶりに、能・狂言を観に行きました。
花月、名取川、隅田川、玄象。
花月は、7歳の時に生き別れた息子に、桜の京都、清水寺で再会する話。
我が家の長男は同じく7歳、
そして私は清水寺に行ったばかりなので、どの辺りなのだろうと考えながら…
次の名取川は、野村萬斎さんがとにかく可笑しくて!
その次の隅田川。
涙なしでは観られません。。。
人攫いに息子を攫われ、探しに探して都から東の国の隅田川まで。
対岸の大念仏について尋ねると、まさに探していた息子が一年前にここで亡くなった、その菩提を弔う大念仏だったのでした。
どんな人でも、言わないだけで、人生色々あるので、私事をあえて話す必要もないと考えていますが、少しだけ。
数年前に、私の周りで身内の死、友人の死、仕事上の諸々が折り重なるように続いた時期がありました。
私自身、まだ消化も昇華も出来ていません。
前を向いて生きるために、乗り越えねば、ともがくこともしばしば。
ただ、今日の隅田川を見ながら、乗り越える必要は無いのだとうっすら感じました。
私は白黒ハッキリつけたい性格なのですが、解決し得ない想いを胸に持ちながら生きるということが、どことなく腑に落ちたような気が少しだけしました。
今は、心のデトックス!とか、過去の自分と向き合って問題解決!とかよく聞きますが、それもいいのですが、別に何もそんな、いつもスッキリして、いつもキラキラしてなくていいんじゃない?とか。
上手く表現出来ませんが…
能楽の中に、救いがあるように感じました。
オペラやミュージカルのように(色々ありますので一括りにするのは乱暴ですが)、高らかに愛を歌い、嘆き、分かりやすく伝える表現を、陽性に受け止める芸術や芸能もあれば、
こうした、説明し過ぎない表現から各々が自己の内面を振り返りつつ、汲み取り受け止める芸能もあり、
私は、歌舞伎を観ても松羽目物に強く惹かれるので、これを機に、お能を定期的に観に来たいと強く思いました。
ミニ謡本を買いました。
隅田川では、野村四郎先生が後見でいらっしゃいました!
謡本を観ながら聴くと、同じ観世流でも、詞章がかなり違う部分がありました。
土蜘蛛は四郎先生にいただいた譜を持っているのですが、朝のお稽古(大学時代の副科)をたまにサボッてごめんなさい>_<の意味を込めて買いました。笑
それにしても、桟敷席で1時から5時50分まで正座は、休憩ありでも足が痺れた~~!





