180



2度目の告知をされたその日、こどもたちに伝えようと決めていた。

1度目の告知は当時3歳5歳。

その時にはまだしっかり伝えなかった。

でも今はもうわかる年齢になってる。



なんて言おうか。


1年生と3年生にわかる言葉で

ネガティブにならないように伝えるためにはどうしたらいいのかな。



学校から帰っていろいろ支度が落ち着いて

「ママ大事なお話しがあるから聞いてほしいんだ」と言って話し始めた。


「ママのおっぱいにいたバイキンが[肝臓]っていうところにも悪さをしてるみたい。

また入院したり手術をしたりはしないけど、お薬を飲んだり今より病院を行く回数は増えると思う。」


そして

「ママはおばあちゃんにはなれないかもしれないって言われちゃったんだ。

でもね、ぜったいぜったい娘の成人式見るから。

ママは強いから。

ぜったいに大丈夫だよ。

でももしかしたらちょっとしんどいときもあるかもしれない。

2人が心配になったり、不安な時はママに教えてね。」


そう伝えた。


娘は

「ママは今とっても元気だから大丈夫だよ」と言ってくれた。

そして次の日には

「わたしは大きくなったらお医者さんになる。お医者さんになってママの病気を治すよ。」て。


デザイナーになりたかった娘。

デザイナーの夢は?と聞いたら

「ママが病気が治ったらドレスを作ってあげるね。それでもう1回結婚式しようね。」


もう涙が溢れてごまかすのに必死だった。

ありがとうありがとうって言うのが精いっぱいだった。



そして息子。

私が話をしたときから

質問ある?って聞いても

「ない。よくわからない。」って言い続けていた。

わからない訳はない。

でもここであんまりしつこくしてもなって思ってそっとしておいた。


そのあと、

「肝臓に効くツボ」を調べて押してくれた。

ちゃんとわかってるんじゃん。って気持ちと、

息子ながらに母が心配だけどどうしたらいいかわからない気持ちが痛いほど伝わった。


わたしには自慢できることはないけれど

こんなに優しいこどもたちがいることが何よりの自慢です。

この子達のためにもぜったいぜったい長生きする。

改めてそう誓った。



そして夫!

今までわたしが全摘手術も抗がん剤も再建のオペもわりとあっけらかんとしていた夫が

今回は別人だった。

もうそれはそれは見ているのが辛いくらい落ち込んで。

熱までだして。

かと思えば免疫療法的なものをかたっぱしから調べ始めて、今すぐできるガンにいい食べ物や水素吸入などを勧めてくる。

そして仕事の合間をぬってガンに良いとされる神社に参拝しまくって。

今まで仕事人間だった夫が定時で帰ってきて、夜わたしを一人にさせないようにして。


あまりの豹変ぶりにびっくりだけど

改めてわたしは病気になんかなってる場合じゃないんだと再認識した。


たくさん楽しい予定を詰め込んで

なるべく病気のことを考えないようにしよう。

そう決めた。

そしてわたしはおばあちゃんになる。

なれる。

ぜったいに。